とりあえずやってみた

とにかくやってから、考えます

他人の気持ちを理解するのは、基本的には無理です。だからこそ・・・

こんにちは やぐらです。

 

 

今回のテーマは 「共感」 です。

 

ここでの「共感」は

 

”あなたの気持ち、わかります”

 

というのとは少し違います。

 

つらい経験をした人

悩んでいる人から、

その思いを聞かされたときに、

「気持ちはわかる」

と、言いがちですが、

 

自分は自分、他人は他人

生まれも育ちも

経験してきたことも違うので

相手の本当の気持ちを理解するのは

実際には相当困難なことです。

 

極端なことを言えば、

災害、事故、さらには事件などで

亡くなった遺族の方に対して

「あなたの気持ちわかります」 と、

安易にはいえないのは お分かりだと思います。

 

(全く同じ経験をしていれば

 わかると言ってもいいとは思いますが・・・)

 

 

 

少しくどい言い方をしますと

「あなたの気持ちがわかる」

のは、

 

誰かといえば

これは 「自分」 であって、

 

「あなたの気持ちがわかる」

という言葉は、

自分の思ってることを

相手に伝えているのです。

 

「会話は相手が中心」

が、大原則なので、

自分の意見、気持ちを表明するのは

いったん脇においておきましょう。

 

ここは 「相槌を打つ」 で紹介しましたとおり、

相手の状態を肯定的に 受け止めることが重要なので、

「つらかったね」

「大変だったでしょう」

と、相手の気持ちに

フォーカスしてあげるのがいいでしょう

 

 

 

では、

何を目指して 会話すればいいのかといえば、

 

相手から

「この人だったらわかってくれる」

「この人だったら信頼できる」

「この人だったら話を聞いてくれる」

「この人には何でも話ができる」

「この人とは心と心が通い合っている感じがする」

と、思ってもらうこと

 

これを 「共感」 としています。

 

微妙なニュアンスを

表現するのはむずかしいのですが、

「相手に寄り添う」

という感覚 といっておきます。

 

 

共感と同感の違い

 

共感は

あなたは今そう感じてるのね。

辛い気持ちなんだね。

と、相手の気持ちを組んであげること。

これは相手のことです。

 

同感は

わたしも同じ気持ち! と、

相手と同じ意見ということ。

 

これは自分のことです。

このあたりは さきほどのとおり。

 

共感と同情の違い

 

同情とは、

いろんな表現を探してみましたが、

あなたの事が本当は どうでも良くて、 自分を満たすために 上から目線で あなたを評価する行為

というのが 一番しっくりくると思います。

これも自分の思うことで 相手の感情ではありません。

 

こうしてみると 「共感」 も、

意外とむずかしいことがわかります。

練習しましょ。

 

では。

プロレベルの相槌を打とう:その2 「相槌の種類を増やす」

こんにちは やぐらです

 

今回は 「相槌の種類を増やす」 です。

 

たとえばですが、

「相槌を打つときなんて言いますか?」

と聞かれれば、なんて答えますか?

 

 

「はい」 「ええ」 「へえ」 「うん」 「なるほど

あたりですかね。

 

調べればもっとでてきそうですが 

とりあえずこのくらいでも 大丈夫です。

 

たとえば 「はい」 ですが、

これを 「はい」 「はいはい」 「はぁ~」 など、

バリエーションを増やします。

 

これは相手に ちゃんと聞いてますよ

という意思表示のためです。

 

相槌も全く同じ言葉を

何回も繰り返されると

 

相手からは、

「話を聞く気がない」

と、思われる可能性があります。

 

続いて 「ええ」 「うん」 「なるほど」 なども

種類を増やしていきます。

 

ここで注意が必要なのは

相槌自体は肯定的なものなのですが、

 

相槌の仕方によっては

時と場面と相手により

否定的なニュアンスを持つときがあります。

 

「うっそ~」 「まじでえええ」

 

なんかは、

親しい人や若い人あたりだと

特に問題ないと思われますが、

 

そこまで親しくない人、

年上に対するとき では、

(なんか馬鹿にされてる?)

と、受け取られかねないです。

 

このへんは 一般常識があれば

大丈夫だとは思いますが・・・

 

 

そして、 効果抜群なんですが、

相槌の技術としては 少し難易度が高いのが、

「繰り返し」

です。

 

字の通り

相手の言ったことを繰り返すことです。

 

難易度の高いところは

「短く」 「明快に」 「相手の言った言葉で」

繰り返す

というところです。

 

子供のころ からかうときに

相手の言ったことを

そのままそっくり言い返すことを

やったりやられたり

したことがあると思います。

 

正直イラっとしませんでしたか?

 

単純な繰り返しだと、

同じようになってしまうはずです。

 

なので、

「短く」 「明快に」 「相手の言った言葉で」

繰り返す ということが必要です。

 

また、注意したいのが

「相手の言った言葉で」

のところ。

 

相手の言った言葉

『そのまま』

で ということです。

 

相手の言った言葉を受けて

意味合いやニュアンスを

くり返しても

 

言葉と意味合い・ニュアンスが

同じとは限らないからです。

 

例として

「いや~、あの人話が長くてさ~」

「ええ、たしかに話が長いですね」

これは、相手の言葉をそのまま使ってます。

 

同じようですが

「いや~、あの人話が長くてさ~」

「ええ、眠くなりますよね」

 

これは、

自分の感想、 もしくは

相手がこう思ってるだろう

ということになります。

 

まず、話が長いと思ってるという『事実』 を、

肯定的に受け止めます。

 

もしかしたら 相手の方は、

眠くなってはいないかもしれません。

 

相手も眠くなったと思えば、

問題ないですが

 

眠いと思ってなければ

「いや、そこまでではないんだけどさ~」

と、話がやり直しになってしまう 可能性があります。

 

こうなると ちょっとテンポが悪い感じもします。

 

「会話の主役はあくまでも相手」

「会話は相手の言葉を拾う」

「会話は必ず相手に返す」

 

というのを、

意識しながら話すと

相手も気持ちよく

話してくれるようになるはずです。

 

がんばって訓練しましょう

(自分もね)

 

では。

 

 

 

 

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プロレベルの相槌を打とう

プロレベルの相槌を打とう

 

こんにちは やぐらです

 

今回は 「相槌を打つ」 です。

 

「相槌を打つ」のは何のため? といえば、

「話を『肯定的に』 ちゃんと聞いてますよ」

という 「態度」 を現すためです。        

 

よくある話ですが、

家庭で夕飯時に

テレビを見たい旦那と

話を聞いてもらいたい奥さんがいて

 

奥さんが話しかけて、

旦那が 「聞いてるよ」 と、

顔がテレビの方を 向きっぱなしで言ったとしたら

(絶対聞いてねえな・・・)

と、思うはずです。      

 

言葉では嘘を言えても

態度は嘘をつけないのです。

 

的確な相槌は ちゃんと話を聞いている、

という意思表示です。  

 

 

   

 

まず、会話するときの前提として

「相手の話を『肯定的に』受け止めること」

です。

 

『肯定的に』 というのは、

 

「相手の話をそのまま受け止める」

「相手の話の内容は

 自分とは何の関係もなく

 相手が単にそう思ってる」

 

と、いうことです。      

 

 

たとえば、

相手方から 「自分は野球は巨人が好き」

という話をされたときに、

 

「ああ、巨人ファンなんですね」 と言っておけば、

とりあえずは 「聞いてますよ」 という態度を表せます。

 

仮に自分が阪神ファンだとしても

「巨人は嫌い。阪神がいちばん」 と、

返す必要はありません。

 

逆に、 「自分は阪神ファン」 と言ったときに

相手が 「阪神きらい。巨人がいちばん」 と、返されたら

阪神がいちばんに決まってるだろう)

という気持ちはいったん置きまして

 

「ああ、巨人ファンなんですね。」 と、

言っておけばOKです。  

 

これを、

阪神ファンの自分を否定された)

とは思わずに

 

(この人は単に巨人ファンなだけ)

 

と、受け止めるようにしましょう。    

 

ちなみにですが、この場合、

「お互い野球ファン」 という共通項がありますので、

古い人なら

長島 vs 村山

王 vs 江夏

 

槙原 vs バース、掛布、岡田 の、

バックスクリーン3連発

 

ちょっと前なら

松井 vs 井川

 

最近だと・・・ あんまり見てないので・・・

坂本 vs 藤浪 あたりですかね。

 

こういった話題で盛り上がれるはずです。  

 

 

 

では、

自分に直接関係のあることを

言われたらどうするか?

 

「あなたのここが気に食わない」

「あなたの友人のあんなところが嫌い」

 

なんて言われたら、

 

(なんだこのやろー)

 

とは、思わずに

嫌いになっている原因については

これもいったん置いておきまして、

 

「相手がとりあえず

 そんな風に思っている という

 『事実』を肯定して受け入れる」

 

と、考えてみましょう。

 

こんなときは、

「そういわれれば、そうかもしれませんね」 と、

言っておきましょう。

 

相手は、

とりあえず 自分の思っていることを

受け入れてくれた、 と、思うはずです。

 

それから、

そう思うことになった経緯や原因なんかを

ゆっくり聞いてみればいいと思います。

 

最初にいきなり否定するよりも

ずっと話しやすくなるはずです。

 

まあでも

こうやって書いてる分には 簡単そうですが、

実際にできるようになるには

それなりの練習が必要です。

 

(自分もまだまだです)

 

特に反射的に なにか話しかけられたときには

あとで

(こういうふうに言っておけばよかった)

と、思ってばっかりです。

 

がんばりますよ。

 

では。

人の話を聞くことは意外とむずかしい。

こんにちは やぐらです。

 

今回は 「人の話を聞く」 です。

 

もともと心理学関係は

好きだったのですが

 

ここ最近はカウンセリング系の本を

よく読んでおります。

 

カウンセリングの仕事は

「人の話を聞く」 のだそうで、

「悩みを解決する」 「アドバイスする」 よりも

大切なこと となっております。

 

 

 

今読んでる本には、

「聞き上手になるため」 の項目が

30個以上書いてありまして

 

「聞き上手になる」 のは、

なかなか大変です。

 

いちばん最初に書いてあるのが

「聞き上手は話さない」

です。

 

落語家が話す訓練をするように、

聞き上手になるには、

話したくならないように

ある程度の訓練が必要である。

 

話を聞くプロとして、

話を聞いてお金をもらう

というイメージをしてみましょう。

 

だそうです。

 

 

いちばん最初に書かれているということは

それが出来る人は 一般人では、

実はあまりいない

ある意味特殊能力でもある。

 

とのことです。

 

たしかに自分でも

会話の目的というか

おおまかにいうと

「自分を認めてもらいたい」

感じがありますね。

 

「自分はすごい」

まではいかなくても、

 

納得してもらいたい

考え方をしってもらいたい

ウケたい

 

とか、

 

やはり自分中心になってることが

多いですかね。

 

やっぱり ちょっと改めないと

いけないようです。

 

 

 

 

 

ただ、自分が特別かといえば

そうでもない気もします。

 

人の話を聞くのは、

「適当に、流しながら」

だと、相手に確実に伝わるので、

 

ちゃんと聞くとなると

結構なエネルギーを使います。

 

仕事から帰ってきて

家族の話を聞くのは、

他人と違って

逃げられるわけではないのですが、

 

「あとで」

「今日は疲れてる」

「(ずっとテレビ見てる)」

 

とかしてると

夫婦関係、家族関係で

不満がたまっていくことになるようです。

 

話を聞くのは

「訓練」

しないとだめ ということなので、

自分もこれから 修行することにします。

 

できるかな・・・

 

この回終了。 では。

感情を抑圧すると「転移」するらしい。

 

こんにちは やぐらです。

 

今回は 「感情転移」 です。

 

「転移」 というと 「がん」 をイメージしますが、

感情も転移するそうです。

 

カニズムを簡単に言いますと

ある人に対して ある種の感情

(怒り、恐怖、愛情など) を、

抱いたとします。

 

で、その感情が

そのまま表現されればいいのですが、

 

表現されずに、 抑圧されてしまうと

その感情を抱いた人にではなく

全く別の人にその感情を抱いてしまう。

 

これが 「感情の転移」 です。

 

 

その全く別の人に

なぜその感情を抱いてしまうのかは

本人にもわからないことがほとんどです。

 

 

 

 

 

一例として

子供のころに異性の親

(男の子なら母親、女の子なら父親)

に対する愛情を抱いたとしても、

 

母親には父親がいて 父親には母親がいるので

自分の異性の親に対する愛情は

必然的に抑圧されることになります。

 

その抑圧された異性に対する愛情が

全くの他人に向けられる (感情が転移する) ことを

「恋」 ということになります。 (*諸説あるようです)

 

一般には 「エディプス・コンプレックス」 といわれますが、

長くなりそうなので、別の機会に・・・

 

また、 子供のころに

親からの愛情を十分に受けなかったために

「もっと甘えたい」 「さみしい」 「かまって」

という感情を抑圧したままに成長すると

 

「子供らしい感情」 が、

全くの他人に転移することになるので、

 

恋愛がうまくいかなかったり、

人間関係がぎくしゃくしたり、

などの一因になるのではないかと 言われています。

 

心理カウンセリングなんかだと

その原因を専門的に分析するところですが、

 

一般人なので

身近な人の子供のころの話を

聞いてみるのがいいと思います。

 

けっこうしっかり者のあの女性が

子供のときは、お兄ちゃん子で 甘えてばかりいた

とか、

 

兄弟が多かったので ほとんど放置されていた

とか

 

いろんな話が出てくると思います。

 

その話の内容自体に いい、悪いはないのですが、

その人の性格というか、行動の意味が

なんとなく見えるのではないかと 思います。

 

まあ、子供のころの話が

気軽に出来るくらいなら

人間関係はもともと 良好な気もしますね・・・

 

そうでない人との会話は

また、改めて・・・・

 

この回終了ですが、 続くかも。

 

では。

メサイアコンプレックス:他人を助けなければならないという思い込み

 

 

こんにちは やぐらです。

 

今回は 「メサイアコンプレックス」 です。

 

日本語で言うと

「メサイア」 は、救世主

「コンプレックス」 は、みなさんご存知の通り。

 

「救世主妄想」 という言われ方をするようです。

 

これは、どんな状態なのかといえば、

「人のために何かをしよう」

「人を助けなければならない」

救世しようと深く思い込んでいること(人)です。

 

一見よさそうで、特に問題ないような気がしますが、

 

やっかいなのは、 何のために人を助けるのか?

⇒ 自分を認めてもらうため

という考え方をしているからです。

 

他人が困ってるから助ける のではなくて

助けている自分を他人に認めてもらいたくて

(相手が助けを必要としていなくても)

そういう行動、言動をするのです。

 

ざっくり言うと、

「他人を助けてる俺すげー」

こんな感じですかね。

親切の押し売りのさらにめんどくさい感じ、

とイメージすればいいかもしれません。

 

 

 

 

どうしてこういう

考え方、行動、言動をするかといえば、

自分を認めてもらいたい という感情が、

強すぎるからです。

 

 

自分に対する評価が自分自身で低いのです。

この認めてもらいたい行動が、

他人に対する「救世」であれば、

「メサイアコンプレックス」

 

自分を傷つけて相手に心配させて、

自分を認めさせるのが

「ミュンヒハウゼン症候群」

 

他人(身内が多い)を傷つけて、

その介抱、看病することによって

自分を認めさせるのが、

「代理ミュンヒハウゼン症候群」

とよばれています。

 

どれもなかなかやっかいな状態です。

 

 

さて、 「メサイアコンプレックス」 ですが、

繰り返しますと、

 

まず、 自分自身強い劣等感や承認欲求がある。

この劣等感、承認欲求を満たすために

自分が救われたいという欲求がある。

 

その欲求を満たすために、

相手を助ける という行動、言動になる。

 

しかしこれは

相手のことを思っての行動ではないので、

押し付けがましく、

不釣合いな感謝や見返りを要求することもある。

 

さらには、

他者の欠点だけを論うことで

自己評価を下げさせて

共依存関係を作り出そうとします。

 

もし、自分または他人が

「メサイアコンプレックス」

の可能性があるならば、

これは、自己評価の低い状態が考えられるので、

じっくりと、

「自分を肯定してみる」

「自分を認める」

そして、

「自分自身を助ける、救う」

ということに取り組んでみましょう。

 

この回終了 では。

大人だって無条件に「愛されたい」のだ。

こんにちは やぐらです。

 

今日は 「無条件で愛されたい」 です。

 

 

これは、

小さな子供のことだけのこと のようですが、

大人でも同じです

 

「愛されたい」

という言葉を使ってますが、

 

「認められたい」

「受け入れてほしい」

 

と言ってもいいでしょう。

 

「無条件」 というのが大事なところで、

これは子供のころの方が、

無条件になりやすいですが、

 

大人になると

 

「相手に認めてもらえるように」

「相手に好かれるように」

「相手が望んでいるように」

 

という行動をとってしまうこともあるので、

なかなか 「無条件」 には、

ならないことが多いです。

 

 

 

 

 

 

どうしてこうなるかというのは

「幼少期の家庭環境」

が大きく影響している、

としている文献がほとんどです。

 

幼少期に無条件には愛されず、 親の望む自分しか愛されない ⇒  誰かに必要とされる自分でなければ 存在することが許されない。

 

このような偏った価値観と、

人間関係に対する基本的な不信感が原因です。

 

この

「~でなければならない」

「~すべき」

という考え方は

人間関係的にはとってもよろしくないのです。

 

「ありのままの自分」 が、

認めてもらえないので、

自分の存在理由を他人に 依存することになり、

他人に過剰なまでに 自分の存在を認めてもらおう

という言動、行動になります。

 

 

 

 

解決方法としては、

 

「自分を愛し、他人も愛する」

「自分を認め、他人も認める」

 

ことが、大事です。

 

やはり 「give and take」 です。

「give」 が、先です。

 

子供の時の感情が、

大人になっても残ってるので、

感覚としては、 理解しにくいところですが、

 

「自分が愛されたい」

のは、他人も同じなので、

先に他人を愛してみる。

 

恋愛感情ほどではなくても

存在、個性を認めてみる。

 

そうすれば、

「他人を無条件で受け入れてくれる人」

と、認識してもらえば、

自然と相手からも 無条件で認めてもらえるはずです。

 

もし、

それでも 相手から受け入れてもらえないのであれば

「そういう人」

と、いうことで、割り切ってしまいましょう。

 

自分の不自然な偽りの姿で

愛されたり、認めてもらったりしても、

そのうち疲れて何かしら無理がでてきます。

 

自然体でいること

これをいちばんに考えてみましょう。

 

この回終了。 では。