とりあえずやってみた

とにかくやってから、考えます

海外旅行先を「現地の警察の信頼度」で考えてみる(約30年前のソ連、イギリス編)

 

 

こんにちは やぐらです。

前回の記事です。

 

gogojuggler1969.hatenablog.com

 

社会主義国時代のソ連 

今回はヨーロッパです。

まず「ソ連

時期は1991年。

ロシアになる少し前です。

ここでは警察官ではなく「税関職員」(おそらく)のお話です。

 

このとき、成田ーロンドン行きの飛行機に乗ったのですが、「アエロフロートソビエト』航空」なので、途中でモスクワ空港に降りるわけです。

乗客は一旦全員降ろされ、空港の中で待機となります。

当時タバコを吸っていたため、成田空港の出国手続きをしてから、免税店でタバコを1カートン買い、手荷物として機内に持ち込んでいました。そのまま外から見ても『タバコ』とわかる感じです。

 

そうしましたら、荷物を抱えて歩いている途中で空港の制服っぽい格好の男性がなにか話しかけて来ました。

何を言ってるのか全く理解できなかったので、おそらくロシア語と思われます。

その人の仕草を見るとタバコを指さしています。そして人差し指を1本立てています。

 

(タバコに何か問題があるのかな?)

 

と、思いまして自分もタバコを指さしましたら、次にこの制服の男の人は、手のひらを出してきました。

 

(くれってことか?)

 

税関(風の)人が、旅行客にたかるのか?

と思いましたが、変にトラブルになってもめんどくさそうなので、その男の人にタバコを1箱渡すと、その人は満足そうに立ち去っていきました。

 

海外旅行をして

(外国はやはり日本とはかなり違う)

と思った瞬間でもありました。

 

これは、とても恐怖心を煽られることになります。

「犯罪者がいたとしても、警察に駆け込めばいい」

と思っていたのが

「警察は助けてくれないのかも?」

となった瞬間に、犯罪者に対する恐怖心は何倍にもなります。

 

日本に置き換えてみますと、日本の警察が犯罪者に加担することは基本的にはないのですが、明らかにこちらが被害を被ってるのにいざ警察を呼んでみたら、こちら側が怒られたというケースは以外とあると思います。

これは、法律の決まりごとの関係でそうなっているのでしょうけれど、このことを経験すると

「同じケースで警察を呼んでも、自分のほうが悪いとされてしまう」

と、思うしかありません。

 

そうすると似たような被害を被ったときに、「逃げる」「あきらめる」という選択肢しかなくなってしまうことになります。

(近所トラブルとか100回以上110番通報してようやく相手が逮捕された、みたいな事件がありますが、99回目の110番のあとに被害を受けても諦める可能性もありそうです。100回も110番通報してるなかで、絶対に1回くらい『あなたの方にも落ち度があるはず』『刺激するな』という言い方をされてるはず)

 

このときの旅行では「ソ連」は、たまたま航空会社の関係で寄っただけでしたが、

(外国の警察、公務員はだいぶやる気ないのかも?)

というイメージが残りました。

 

また、このときの情勢で

日本はバブルからちょっと時間がたったころ

ソ連は当時社会主義国

という違いなのかも?

ということも少なからず自分の考え方に影響を与えていたように思います。

 

 

特に印象のない「イギリスの警察」

続きまして「イギリス」

これも同じ旅行のときの話。

イギリスには実質3週間ほどいましたが、警察のお世話になったという記憶がありません。

「電車で寝てたら靴を盗まれた」という事件は発生しているのですが、警察に盗難届とかもだしていないので、警察関連の印象は特になし。

30年前当時は、ロンドンで地下鉄の終電時間まで遊んで、その後真っ暗な中、歩いて宿泊している安宿目指してあるいていたら、浮浪者にやたら絡まれたとか、パンク集団に囲まれた、とかありましたけれど「治安」ということでは、あまり悪いイメージはありませんでした。

(タクシーの運転手からは、「夜は歩かないほうが無難」と言われましたけれど)

 

今は、殺人事件も多くて治安はそれほど良くないという話も・・・

 

まあ、ロンドン中心部なら繁華街(ピカデリーサーカスとか)から、タクシーで行ける範囲に大使館もありますので、仮に警察がダメだとしてもそちらに行くことは可能ですので・・・

 

そのあたりの「安心感」というのは、かなり大きい場所と言えます。

 

この回は以上ですが、別の国のお話を続けます。

 

では。

 

 

 

 

 

 

 

 

海外旅行先を「現地の警察の信頼度」で考えてみる(約30年前のアメリカ編)

 

 

こんにちは やぐらです。

今回はこちら。

news.livedoor.com

 

このタレントさんには特に興味はないのですが、(ごめんなさい)気になったのは「犯人が警察官」というところです。

 

ちなみに、自分の海外旅行国数は、7ヶ国です。

 

アメリカ(本土とハワイ)

イギリス(イングランドスコットランド

スペイン

ロッコ

フランス

タイ

韓国

 

おまけで「ソ連」です。

これは、トランジットでモスクワ空港に降りただけなので厳密には、「渡航先」にいれてませんが、ある出来事が起こったので付け加えておきます。

なぜ、「ソ連」なのかと言えば「ロシア」になる前のため。

 

で、このうち現地の警察のお世話になったのは、「アメリカ(本土)」と「タイ」、ややお世話になったのは「スペイン」と「モロッコ」と「フランス」です。

(犯罪を起こしたわけではないので、念の為)

ソ連」では、警察ではなく、税関の職員とちょっとしたことがありました。

 

まず、アメリカ。

時期は、1989年。

お世話になった場所はラスベガス。

理由は「交通事故」です。

 

自分で借りたレンタカーを運転中、中央分離帯のブロックに乗り上げてしまって、車が動かなくなってしまいました。

「車が右車線を走る」ということに慣れていなかったのと、「とにかく暗い」のが原因で、車線変更したらぶつかるまで、何かがあるのが見えなかったわけです。

 

このときは、たまたま反対車線を走っていたパトカーがすぐに駆けつけて、事故処理を始めました。

 

以後の会話はこんな感じ。

(英語は、ほぼ理解していないので、相手の会話の内容は自分の想像)

 

警察官「怪我はないか?」

やぐら「大丈夫」

警「とりあえずパトカー乗って」

や「(パトカーの助手席に乗る)」

 

で、なぜかセブンイレブンに連れて行かれまして、セブンイレブンの電話から警察官がどこかに電話をして、自分に替わるように促されます。

(まだ、携帯電話がない時代のため)

 

電話の相手「こんばんは」(日本語)

やぐら「こんばんは」

 

この電話先の相手の方は、警察官の個人的な知り合いだそうで、自分が「英語が喋れなさそう」ということで、「通訳の代わりをしてほしいと頼まれた」ということでした。

 

そこで、警察官が聞きたいことを喋って受話器を自分と替わり、自分が質問に答えてまた警察官と受話器を替わり、それを数回繰り返して、事情徴収は終了。

最後に、電話先の方が

「警察の方が、タクシーを手配したそうなので、それでレンタカー会社に行ってください。新しい車を借りれるようにしてもらったそうなので」

ということでした。

おまけに警察官がコーラまでおごってくれて、

(とにかくバカでかいアメリカンなやつ)

アメリカの警察は、思ったよりもやさしい」

という印象でした。

 

(ただし、何の行き違いか、行った先のレンタカー会社で新しい車を借りれずに、『おかしな日本人が来た』という扱いをされて、なかなかめんどくさいことになる。ちなみにこのとき現地時間午前2時頃)

 

 

 

で、次もアメリカ。

同じ旅行中のお話。

場所は、ラスベガスとロサンゼルスの間くらい。

(おそらくカリフォルニア州内)

 

レンタカーでラスベガスからロスに向かっている途中で、ハイウェイの分岐に自信がなくて、

(行きのロス → ラスベガスで道を間違えて、あさっての方向に行っているので)

一般道の路肩に停まって地図を広げておりました。

 

すると、自分の真後ろに停車する車がありまして、警察官が降りてきました。

(例によって、相手の会話は自分の想像。聞き取れた単語から会話全体を勝手にイメージをしている感じ)

警察官「ここは、駐車禁止だよ」

やぐら「道に迷った」

警「どこに行くの?」

や「ロサンゼルス空港だよ」

警「じゃ、付いて来て」

 

と、なんとパトカーの先導付きでしばらく車で走ることに。

しばらくしてパトカーが停まって、警察官が降り、

(こっちに行け)

という指示をされて、無事正しいハイウェイに乗り、ロスへ帰ったのでありました。

 

当時のアメリカ警察官の印象は

「とてもやさしい」

でした。

アメリカでは自分が犯罪者でないのならば、基本的に「警察官は市民の味方」と思います。

 

ただ、おかしな動きをするとすぐ「ホールドアップ」とかされそうなので、ふざけたことは絶対にやめましょう。

アメリカではないですが、ベトナムの税関でふざけたことをして、機関銃を向けられたことがあるやつを知っている。)

 

警察が信頼できるできない、というのは「治安がいい悪い」というのと同じくらい大事な要素です。

日本人にとって、現地警察より信頼できるのは日本の大使館ですけれども、そうそうあちこちにあるわけではないのでねえ・・・

 

海外旅行に行くときは、ぜひ考えておいてください。

 

以後続く

 

では。

 

 

★「マナー講師」という職業の評判が相当悪いらしい

 

 

 

こんにちは やぐらです。

 

今回は「マナー講師」です。

 

どうも「マナー講師」という職業が、最近いわゆる「フルボッコ」状態になってるそうで、すこぶる評判が悪いようなのです。

 

実際、検索窓に「マナー講師」と入力すると、ほぼ「悪口」が続きます。

 

 

「害悪」とまで言われるくらいですから、相当ひどいんでしょう。

ということで調べることにしてみました。

 

まずは基本。マナーとは?

マナーって何?と聞かれたら・・・

 

言葉の意味というか、国語辞典的には

「マナー」=「礼儀」「作法」

です。

 

これは「そうでしょう」というしかありません。

 

 

さらに「礼儀」「作法」の意味を考えますと、この2つの言葉の違いがわかります。

 

「礼儀」

人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式。特に、敬意を表す作法。

(引用:コトバンク)

 

「作法」

起居・動作の正しい法式

(引用:コトバンク)

 

日本語のほうは

 

「作法」=やりかた、行動様式

「礼儀」=「作法」のうち、特に相手に敬意を表すためのもの

 

で、すっきりします。

「礼儀作法」という言葉も、意味を考えると特に矛盾するものではありません。

 

ただ、細かいことを言うと、マナー(英:manners)の日本語訳が「礼儀」「作法」ということなので、英語の意味のほうが「解釈の範囲」が広く取られています。

 

この「解釈の範囲の広さ」が、いろいろ人によって言うことが違う、という現象を生み出すことになります。

厳密には「作法」に「敬意」は必ずしも必要ではないので、あるマナーに対して「作法」と思ってる人と「礼儀」と思ってる人の間では、「作法」はちゃんとしてるのに「礼儀がなってない」とか怒られたりするわけです。

これは、「マナー」の解釈の仕方に食い違いがあるせいです。

 

 

 

実際には、どうするのが「マナー」なのか?

 

「マナー」もいろいろな種類があります。

テーブルマナー(和食含む)なんかも、覚えきれないだけあります。

食器その他道具の使い方、使う順番など、かなり細かいです。

ただ、テーブルマナーはどちらかと言うと「作法」なので、(敬意を表すこともなくはないですが)、とりあえず「そんなもの」ということで覚えていけばいいと思います。

 

しかし、恐ろしくめんどくさくなるのが「ビジネスマナー」です。仕事中は、ほぼ「相手に敬意を表す場面」しかないとも言えます。気にしなくてもいいのは「同期の同じ役職の同僚」と会話するときくらいのものでしょう。

 

「ビジネスマナー」の目的は「相手に敬意を表すためのもの」ということは、ほぼ異論のないところです。当然「ビジネスマナー」は知らないよりも知っていたほうがいいです。

 

そこで、マナー講師から「ビジネスマナー」について教わるわけですが、どうにも納得がいかないことが多いらしい。このことは最初のマナー講師で検索したときの結果からもわかります。

これは、マナー講師の言う「どうやって敬意を表すのか?」という具体的な方法が、教わる側の人たちを納得させるものではないため、と思われます。

 

例として

・マナー講師が指導するマナーのやり方が、受講する側の20代から60代までのほぼ全年代の中でも誰も聞いたことがない

・マナー講師が指導するマナーのやり方が、どうにも嘘くさい。

 ・マナー講師が指導するマナーのやり方を、マナー講師自身がやらない(行動が自分を全否定している)

の、ようなことです。

 

具体的なマナーに対する疑問

・マナー講師が指導するマナーのやり方が、受講する側の20代から60代までのほぼ全年代の中でも誰も聞いたことがない

ビジネスマナーそのものに対する疑問です。

最近話題になった「はんこの角度」のお話です。

(引用:https://xn--wlr53q.net/use.html

こんなやつです。

 

これについては、テレビ、雑誌などでかなり取り上げられましたが、どちらかというと「否定的」な意見が多いように思います。

 

個人的には

「足の引っ張り合いする大企業ならではのような気がする」

という意見がしっくりきます。

自分の経験では、このはんこの押し方はしたことがありません。

(むしろ、『曲がってる』と怒られたことはあります)

 

ハンコ関連のサイトでも、正しいハンコの押し方を紹介していますが、「まっすぐ押す」派が優勢と思います。ただ、各サイト微妙に言ってることが違います。

参考:

innkan.com

 

xn--wlr53q.net

 

結局のところ、「その会社のやり方に合わせる」というのが一番無難でしょう。

 

ただ、この話はかなり有名なのでまだいいのでしょうけど、マナー講師が「はんこをこういう風に押すのが正しいです」とか、言われても自分だったら「(ほんまかいな?)」としか正直思わないです。

(もともと上司に敬意とか表したことがほとんどなかった、クソ社員だったので)

 

さらに、他の社員に聞いても「初めて聞いた」話なら、ますます(ほんまかいな?)と思うわけで、さらにさらに50代60代の人が知らないとなると、(今考えたんじゃね?)くらいにはなりそうですね。

 

いっそのこと「EXILE」になって、突き抜けてしまいましょう。

https://kogusoku.com/wp-content/uploads/2019/02/kogusoku-2019-02-22_03-45-43_025634.jpg

(引用:pic.twitter.com/Nm8nt7iQJk) 

 

 

 

・マナー講師が指導するマナーのやり方が、どうにも嘘くさい。

 これも体の中の「直感」「違和感」が拒絶反応を起こすため、と思います。

先ほどの通り「ビジネスマナー」が相手に対する敬意を表するものだとしても、(あれ?もしかして会社に対する絶対服従を求めてないか?)というときがあります。

上司の言うこと、会社の方針には従うのは当然なんですけれど、いきすぎると「法令違反があっても文句を言うな」くらいの要求をこっそりしてくることもありますので・・・

 

特に、新人研修時にありがちなパターンです。

「社長室への入り方」

「書類の提出の仕方」

「挨拶の仕方」

など。

 

あまりに手順が多くて

(どこかの部族のお祈りの儀式かよ?)

と、思ったこともあります。

 

あとで聞くと、社長に取り入ってるマナー講師に講習のプログラムを考えてもらったらだんだんこうなったみたい、とのことでした。

いろんな提案されて、社長もノッてしまったみたいです。

崇め祀られる、という感覚は一度味わうと抜けれなくなるんですかね?

こうなると、マナーと言う名を借りた「なにか別のもの」です。

 

 うそくさい話、となるとテレビとかで紹介されたマナーの話に、その業界から即座に否定されるケースというのがあります。

 

会社の電話の出方、使ってる言葉に対して、「文法がおかしい」と国語学者が否定したり、酒の注ぎ方のマナーで、日本酒メーカーや蔵元から、「そんな話は聞いたことがない」と言われたりとか、結構適当です。

 

ということは、「ごく最近、誰かが考えた」説になってしまいますよね。

 

最近「焼き肉でタンを頼んで、ついてくるレモンは網に塗って焼きやすくするため」という話を聞いて、「そうなんだー」と思ってましたが、翌日に他の「焼き肉屋」さんから、大量の「初めて聞いた」を受けていまして、(ガセかよ?)と信じてしまった自分を恥じることになりましたが・・・

 

 

 

会社にいる以上、会社の方針に従わないといけないので、なんか違和感がありつつも「生きていくために」聞き流さないといけない場面というがあるのはしょうがないです。

 

個人的な経験になりますが、ある会社に中途で入って新人研修のときにや○ざ映画を見せられました。(松方弘樹主演だった気がする)

その映画が終わって、担当の人から

「社長のためにこの映画のように命張って仕事してくれ、以上」

とだけ言われました。

今思うと 翌日にはその会社から逃亡すべきところですが、当時の自分は「アホ」だったので「逆に面白い会社」という判断をして以後数年間、幸せではない生活をすることになりました。(以下、自粛)

 

 マナー講師が純粋に「ビジネスマナー」だけを教えてるのかどうかは、しっかり見ておきましょう。

 

 ・マナー講師が指導するマナーのやり方を、マナー講師自身がやらない(行動が自分を全否定している)

これも結構多いです。

「貼り紙するな」と書いて貼ってある紙は「貼り紙にあらず」みたいな禅問答のような事態になることがあります。

 

togetter.com

食事についてのマナーを教える講師が、全く自分の言ったとおりにやっていない話です。

 

president.jp

まあ、「商売上しょうがない」となるのかどうか・・・

 

お金が発生するものは、最初は崇高な精神をもっていたとしても、だんだん自分でアホらしくなってくるのか、「人にはやらせるけど、自分ではめんどくさい」みたいになる人がいます。

 

それこそ、最初に書いたとおり、

礼儀 = 相手に敬意を表すこと

を、忘れてしまっているなら、それは「マナー」とは違う別のなにかです。

 

お金が発生しているなら、お金を払った人に対して対価に見合う価値を提供する「義務」があります。(契約とはそういうこと)

 

そのあたりが欠けてきている人が多くなってるので、この「マナー講師」のイメージが悪くなってきているんでしょうね。

 

人間として

「相手に対する敬意を表している」

のであれば、その他の細かいことは捨ててしまってもいいですし、

「相手に対する敬意を表していない」

のであれば、「マナー」という言葉を使うのは、正確ではない、

となります。

 

あなたの参考になれば幸いです。

 

 

今回は以上です。

 

では。

 

 

「うそ日記」は何種類もあって、とてつもない破壊力を持っていた、というお話。

 

 

こんにちは やぐらです。

 

今回は「うそ日記」です。

「うそ日記」を初めて知ったという方は、こちらを読んでみてください。

 

gogojuggler1969.hatenablog.com

 

で、

 

自分が上記の本を読んで初めて「うそ日記」というのを知ったので

この本で言う「うそ日記」とは、「自分がついた『うそ』を記録するもの」という定義になります。

 

なぜ、そんなことをするのか?

人間は、「自分の内面の感情、考え方、実際に思っていること」と「外に出てきた言葉、態度、外向けの感情」というのは、往々にして食い違うわけなので、その食い違いを記録して、「自分の内面の見える化」をしよう、というものです。

「うそ」をつく特定の状況、特定の相手、など傾向が見えてきたら、「それはなぜか?」という、もう一歩深いところを考えるイメージですね。

なので「うそ」をついたことをひたすら日記に悔い改めていく、という趣旨とも少し違います。

(これはこれでいいと思いますが)

 

ただ「うそ日記」は、どうも世の中には違う意味のほうが浸透しているようです。

 

 

 

 

小学生のうそ日記 

一般には「内容は、うそ、事実でない、実在しないこと」を書くのが「うそ日記」ということになっています。

特に小学生の教育の一貫として、「なんでもいいので日記(文章)を書かせる」という目的には効果があるようです。

 

「今日宇宙人に会ってきた」

「昨日ハワイに行ってきた」

 

こんな感じで日記(文章)が始まっても、それに続いてどんどん言葉(想像力)が続いて、文章を書けるようになる、そうです。

 

「DV日記」

「今日旦那にこんなことされた」

「あんなこと言われた」

という「DV日記」です。

 

実際にされたのであれば、それは記録にとって、のちのち裁判やらなんやらの証拠にしていただければいいと思うのです。日記でも十分な証拠能力がある、といわれておりますので。

 

ところが・・・

一つやっかいな問題がありまして、

「DV(うそ)日記」

だったらどうなるか?ということです。

 

さきほどの

「今日旦那にこんなことされた」

「あんなこと言われた」

が、すべてうそ(空想)だったら・・・

 

実は、これも十分な証拠として裁判では採用されてしまう可能性があります。

 

書くコツは、

「日記全体がDVばっかりのことでないこと」

「筆圧などを変えること」

(まとめて書いたと思われると、うそくさくなる)

だそうです。

(悪用厳禁)

 

 ただ、反証(そんなことしてませんよ、という証拠)があればひっくり返りますけれど、反証を用意できなければ・・・

 

(あくまでも、証拠用の文書としてという意味。実際の裁判でうその証言をすると、それなりの罰則を受ける可能性があります。詳細は、法律関係にて調べてください)

 

小説の作品としての「うそ日記」

こちらはケータイ小説が元になっています。

 

こちらは「57人のブロガーが書いたショートストーリー」となっています。

 

 

ゲームとしての「うそ日記」

 

 

 http://works.topiapc.com/web/work/saicafe/orig.html

 

 カードゲームもあります。

ルールは、上記のリンクに詳しく書いてありますが、個人的にはちょっと理解しづらい・・・

 

何人かであつまって、

「すべらない話」

風に、サイコロの代わりにカードをひいて一人ずつ、テーマに沿ったうそをついていけば良いのではないかと思います。

 

 

 

超有名ブロガーの「うそ日記」

arufa.hatenablog.jp

 

超有名ブロガー「ARuFa」さんです。

10年前で、もうこんな感じなんですね。

「うそ日記」を書こうと思ったら、参考になると思います。

 

あなたも、いろんなスタイルの「うそ日記」を書いてみましょう。

1番最初の「うそをついたことを記録していく」が、ちょっと難易度高めのような気がしますが、チャレンジしてみてください。

 

今回は以上です。

 

では。

 

 

『だれでも1日200回はウソをつく』を読んでみた(ウソ)

 

スタートからすでにウソをつく

こんにちは やぐらです。

 

今回はこちら

 

 

こちらを読んでみました。(一部ウソ)

正確には、284ページ中30ページだけです。

本文は14ページからなのでまだ15ページくらいです。

 

外国人の本にありがちな「訳がこなれてなくて読みにくい」「たとえ話が長くて飽きてくる」ということが今のところありません。

ホントのさわりのところを読んだだけですが、すでに自分のなかに「言いたいこと」がたくさん出てきます。

 

まず、この本のスタートの時点で考えさせられたわけです。

「結局『ウソ』って、なに?」

ということ。

 

 

それって『ウソ』でしょ、となる例として、

などです。

 

また、真実を使って『ウソ』だと思わせる、といった高等テクニックなんかもあるわけです。

 

でも厳密に『ウソ』の定義は、なかなか難しい問題らしいのです。

 

なので「何を『ウソ』とするか?」によっては、1日200回では済まない回数のウソをついている可能性もあります。

 

 

『ウソ』そのものに善悪はない?

しつけのためか、教育のためか、

 

 『ウソ』をついちゃいけません。

 

と、小さい頃から聞かされて育つわけです。

 

しかし、大きくなったら

 

「なんか世の中『うそ』ばっかり・・・」

 

と、真面目な人は打ちひしがれたりしています。

 

これは、

 

『うそ』そのものがダメ

 

と教えてしまうからなのであって、

 

人を傷つけたり、迷惑かけたりする言動がダメ。

 

とまず教えてからの

 

人を傷つけたり、迷惑をかける意図がある『ウソ』はダメ

 

と、2段階で教えないといけないわけです。

 

 

 

ガンガン『ウソ』をつこう、つかれよう

ということなので、ガンガン『ウソ』をつきましょう。というよりすでにがんがん『うそ』をついているので、気にしてもしょうがないです。

「お元気ですか?」と聞かれれば「お元気です(くたくたです)」と答え、「今日もかわいいね(思ったことないけど)」と声をかけ、「一生会社に忠誠を誓います(さっきまで転職サイトを見てました)」という態度でいいのです。

 

相手を傷つけなければとりあえずいいのです。

あまり悩んでも疲れるだけです。

 

パワーワード「ウソ日記」

そこで、出てきたのが「ウソ日記」です。

ヴァージニア大学のウソ研究者ベラ・デパウロ教授が調査したものです。

 

ぱっと見

「日記にウソの内容を書くこと」

のようですが、

 

実際にはその逆で

「その日の会話でウソをついたことを日記に記録として残す」

のが目的で

「ウソを付いた事実を残す」

ということです。

 

調査の目的は、

「何に対して、どんな場面で、誰に対して」

よく『うそ』をつくのか?

 

を調べるためです。

 

特定の傾向があれば、その人の考え方の傾向、そういう環境、そういう人に囲まれている、という可能性があります。

 

「『ウソ』日記」は、一度書いてみてもいいと思います。接客業とか人と関わる仕事をしている人は、いろいろ書くことあるはずです。

 

今回は、以上です。

 

みなさんの健康と幸せを願って(ウソ)

 

では。

 

 

 

 

 

★他人が「自分の『存在』」を認めてくれないと思ったら、考えなければいけないこと

こんにちは やぐらです。

 

あなたは他人から「自分のこと」を認めてもらっていますか?

 

そう思っていない方は参考にしてください。

 

まず、確認しておかないといけないのは、「自分のこと」とは「自分の『何』なのか?」ということです。

 

例文にしてみるとわかりやすいと思います。

 

問:私は他人から自分の「○○」を認めてももらっていない。

さて、「○○」に入る言葉は?

 

これはちょっと細かく考えたほうがいいです。

 

あなたが「社会人」という前提で話を進めていくと、「自分の『こと』」というのは仕事関連の言葉ではないでしょうか?

 

代表的なのは

「自分の能力」

「自分の仕事に対する評価」

 

自分が思っているものと、他人から受けるもののバランスが悪いので、精神的に穏やかでなくなっていく、というパターンが多いです。

 

心理学的には「承認欲求」と言われます。

承認=認めてもらう、という欲求が満たされないでいる状態のことを指します。

 

原因に上げられることは、「自己肯定感の低さ」と言われています。

・子供のときに親から何をしても褒められたことがない

・とにかく周りから全否定されてきた

ような育ち方をすると「自己肯定感が低くなりやすい」とされます。

 

一般的な解説では、他者からの承認によって自分の存在意義を確認していることになるので「承認欲求」がどんどん強くなっていくと書かれていることが多いです。

 

 

ただ、もしこういう状況になったとしても対処の仕方はあります。

例えば、営業の会社であれば、周りからどんだけ嫌われていたとしても(法令違反とかモラル、マナー違反はしていないという前提で)ダントツの成績を上げておけば、とりあえずはいいわけです。

 

極端な話、この会社であなたのことを認めてくれなくても、転職すればその実力を高く評価してくれる違う会社があるはずです。

 

こういうケースは「環境を変える」と、状況が一変する可能性が高いです。

独立したらあなたの能力にいままでの何倍もの金額を提示してくれる可能性もあります。

 

また、自分の主観で「自分の能力」と「他人の評価」があわない、自分の能力に絶対の自信があると思いがちな人は、実際周りよりも仕事のレベルが高いことが多いのですが、なにせ「とにかく厳しい」、「万人受けしない」ので対人関係は苦労する人が多いです。

 

例えるなら「頑固職人」です。

仕事の能力に一定の評価はされてるはずですが、周りを萎縮させがちで、上司になったら部下が潰れてしまうケースもあります。

悪気はないのですが、仕事に妥協しないので、直属の上司ともぶつかりがちになったりもします。

 

あなたが職場で「どうにも馴染んでない気がする」と思ったらこういう背景があるのかもしれません。

これも環境が合っていないだけです。

 

ただ、今例に上げた状況はまだいいほうです。

 

ひどい職場になると、そういう社員を都合のいいように振り回してしまうところもあります。

 

普段は、仕事を真面目に取り組んでいる人に対して、あまり仕事をしたがらないグループから仕事を押し付けてきたりします。

 

そういう人たちの思考プロセスは

「あの人と一緒に仕事するといろいろめんどくさい」

「あまりかかわりたくない」

世の中いろんな人、職場があるので、ここまではまあいいでしょう。

 

これが、職場の送別会とかなにかの集まりがあったときに

「自分たちは参加したいけれど、仕事に穴があくのであいつにやらせよう」

と、なります。

 

普段無視してるはずなのに、急に「能力を認め」「存在を肯定」してきます。

 

これは24時間可動している職場に多いようです。

・コンビニ

・運送

・看護師

など

 

こうなってくると「存在」を肯定してもらったほうが迷惑ですね。

なぜか、見たこともない人と仕事を組まされて、次の日に周りで「いやー飲み会楽しかったね」とか平気で話しているような感じです。

店長、管理職と一般社員が極端に仲がよく、職場で悪ふざけしてるようなところに、こういうケースが多いように思います。

こういうとき、仕事してくれる人に退職とかされると、確実に会社にとっては損害なので、経営者レベルの方は注意していだだければ幸いです。

 

内勤でこんな環境であれば、とっとと環境を変えましょう。

外勤、営業であれば「取引先」「お客さん」に自分を認めてもらうようにがんばりましょう。社内はテキトーに流しておけばいいんです。

 

あなたのことを「正しく」認めてくれる人が必ずいるはずです。

 

それが「承認欲求」をこじらせないことになります。

 

今回は以上です。

 

では。

 

 

 

 

 

あなたは、間違いなく誰かから「死んでほしい」と思われている。

 

こんにちは やぐらです。

 

ときどき、自分のはてなブログのキーワード(検索クエリ)分析をしていますが、毎回思うことがあります。

『死んでほしい』だらけなのです。

 

自分のブログを見に来てくれる人の殆どが「あいつ死んでほしい」と思ってる、と言えます。

 

(数字は検索順位)

早く死んでもらうには 1
早く死んでもらう方法 1
旦那 死んでもらう方法 1
旦那に死んでもらう方法 1
父親 死んでもらう方法 1
死んでもらう方法 1.02
妻に早く死んでもらう方法 1.15
旦那 早く死ぬ方法 1.83
夫が早く死ぬ方法 1.9
早く死んでしまえ 2
旦那が死ぬ方法 2
旦那が早く死ぬ 2
旦那早く死ぬ方法 2
旦那が早く死ぬ方法 2.04
旦那 早く死ぬ 2.14
旦那に死んでもらいたい 2.4
妻に死んでもらいたい 2.56
早く死ぬおまじない 2.73
嫁 早く死んで 2.93
死んでくれたらいいのに 3
旦那 死んで欲しい おまじない 3
旦那が死ぬおまじない 3
旦那死ぬ方法 3
夫に死んでもらいたい 3

 

(全部はこちらへ)

https://docs.google.com/spreadsheets/d/1BdCuSg9sSaYQ7gwb4gg1v-D8o6cmPkc-Y8CNR6JkEUs/edit#gid=0

 

よく、「『キーワード』で検索順位1位を目指しましょう」と言われます。

 

検索1位のものも複数あるので

「死んでほしい」と言えば「やぐら」

くらいのレベルまで到達してるようです。

(あくまでも自称)

 

 

ただねえ~

 

この「死んでほしい」関連の記事は、基本的には

妻→旦那

という方向でしか記事を書いていないので、

「旦那死ね」

というのが多くなっていますが、検索クエリをみると身内に関してはほぼ全部が「死んでほしい」対象になっています。

旦那(だんな、夫)、妻(嫁)、親、そして「娘」まであります。

 

見当たらないのは「兄弟姉妹」と「息子」くらいです。

これをテーマに記事を書くとそれなりの「ワード」を集められそうですが、結構気が滅入る作業になるので、どうも気が進まないのが正直なところです。

 

というのも一時期

母親 → 娘

という方向の「死んでほしい」をいろいろ本とか読んで調べて記事にしようとしたことがあるのです。

とりあえず記事は書きましたが、どうも自分でもポイントがずれている気がします。

 

gogojuggler1969.hatenablog.com

 

なにかに書いてあった

(質問、相談系のサイトだったとおもう)

 

妻(母)が

「旦那と娘が仲良く話しているのを見ていると、娘に『女として嫉妬する』」

という状態になるらしく

「ふと『娘がいなくなればいい』『娘死んでほしい』と思う私は異常でしょうか?」

こんな内容だったように思います。

 

このことを職場の娘がいる主婦とかにそのままの内容で聞いてみましたが、全員

「そんなこと考えたことない」

「父と娘が仲いいのはいいこと」

「奥さんに別の悩みがなんかあるはず」

という回答でした。

 

そこで心理学、育児関係の本とかいくつか読みましたが、ちょっと素人レベルには難しい話になってしまって、

 

母 → 娘

 

という方向の「死んでほしい」はいまのところ書けていない、

となっております。

そう思う、という人が実際に目の前に現れれば、直接話を聞いてみたいところではありますが・・・

 

「死んでほしい」は「負のパワー」がすごくて、事例を集めてるとしんどくなってくるんですね。

 

 

 

実は、「死んでほしい」対象が、

 

旦那、妻、親(基本的には義理の親)

と、

父、母、息子、娘、兄弟姉妹、

では明らかに違うところがありまして、それは「直接の血の繋がり」があるかないかです。

 

「旦那死んでほしい」と思う理由は、ほんとにたくさんあるんですけれど、それぞれ納得できるものばかりです。

自分もいちおう男なので旦那側に立ちたいのですが、「死んでほしいレベルの旦那」の言動は、さすがにひどい・・・

 

 

gogojuggler1969.hatenablog.com

 

血のつながりがないぶん

「とっとと離婚したい」

「とっとと死んでほしい」

という思考になるのは、十分理解できます。

 

 

 

しかし、血の繋がりがある身内は、生まれたときからの付き合いになるので、夫婦のように

「一緒に暮らすようになって、初めてこんな人だと知った」

みたいなことになるはずがなく、他人同士とははるかにレベルの違う感情になるようです。

 

今回のタイトル

「あなたは、間違いなく誰かから「死んでほしい」と思われている。」

は、「見えてる人の見えない感情」というのがありますよ、ということです。

 

例として

とても仲がいい母親と娘がいるのですが、娘が彼氏ができて結婚しそうになると母親がその結婚話をぶち壊しにくる、それが複数回ある

という話がありました。

 

母親は口でも態度でも

「娘の幸せを願っている」

ことは間違いないのです。

 

では、なぜ娘の結婚をぶち壊すのか?

その時読んだ解説ではこんな理屈でした。

 

・母親が思う「自分(母親)の幸福度」

・母親が思う「娘の幸福度」

のバランスを崩したくないから、なんだとか。

 

他人から見ると「?」となるところもありますが、

幸福度はあくまでも母親の主観です。

 

このバランスというのは

「自分(母親)の幸福度」>「娘の幸福度」

であればいいそうです。

 

自分が読んだものだと、

「自分(母親)のほうが多少『上』」

(85>70あたり)

というのが、いちばん落ち着くところなんだとか。

 

でさらに微妙なのが

「娘の幸福度」がいくつか?

ということで態度が変わること

 

「自分(母親)の幸福度」が80

「娘の幸福度」が40くらいだとすると

 

「おかあさんはあなたの味方よ」

なんてことをいいつつ全力で応援、フォロー、励ましをします。

これは、偽りはありません。本心です。

母親が「娘の幸福度」があまりに低いと感じていれば娘の幸福度をもう少し上げたいわけです。

 

ところが娘が

「彼氏ができた」で幸福度65

「結婚するかも」で幸福度75

くらいになると、

 

母親の心のバランス

「自分(母親)の幸福度」>「娘の幸福度」

が崩れそうになるわけです。

 

ましてや

「自分(母親)の幸福度」「娘の幸福度」

なんてことになるのは、

『絶対に許せない』

という思考になっている、

 

という理屈でした。

 

これは、母親自身も娘も、母親の心のメカニズムを知らないため、

「うちの母親はなんかおかしい」

となるようですね。

 

「誰かから死んでほしいと思われている」

は、ほとんどもらい事故のようなものです。

 

そう思われる覚えがなければ気にしないのが正解です。

 

そう思われる覚えがあれば、早急に直しましょう。

 

脱いだものは洗濯カゴとかにいれましたか?

家事、育児を手伝ってますか?

 

自覚がない方はこちらを読んで勉強してください。

 

gogojuggler1969.hatenablog.com

 

 

gogojuggler1969.hatenablog.com

 

今回は以上です。

 

では。