地下鉄サリン事件の時、ボクは JR秋葉原駅のホームにいました。
こんにちは やぐらです。
今回のニュースはこちら
今から、23年前
1995年(平成7年)3月20日午前8時ごろ、東京都内の帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)、丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、計5編成の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガス「サリン」が散布される、という事件が発生しました。
このときのことは今でもはっきり覚えています。
自分は、JR秋葉原駅のホームにおりました。
自宅から会社へ通勤するのに、JR総武線からJR山手線に乗り換えていました。
そのJR山手線のホームにいたときに、
「ただいま、地下鉄駅構内に起きまして、重大な事故が発生いたしましたので、地下鉄駅構内には、絶対に近づかないでください」
というアナウンスが流れました。
「???」
(なにか事故が起こったんだろうな・・・)
とは、思いましたが、なんともいえない違和感がありました。
言い方、表現がきついのです。
会社へは特に問題なく到着して、午前中の業務も特に問題なくすごしておりました。
仕事は電話営業だったのですが、平日の午前中はのんびりしていますので、営業活動はしつつも、電話に出た家にいる主婦たちと世間話とかしたりしていました。
そのうち、
「なんか、地下鉄で事件発生したらしいぞ」
という話を、他の営業の人たちから聞くようになります。
ニュースは基本テレビからが主になりますので、会社にいるうちは正確な状況がわかりませんでした。
そのうち、昼休みになり、食事にいった先の店内のテレビで、ニュースの臨時放送を見て、状況を把握したわけです。
(すごいことが起こった・・・)
地下鉄で「毒ガス」を撒くって・・・
その前に「松本サリン事件」がありましたが、あれは建物の外からなので、まだあれとして(当然よくはないですが)、地下鉄は密閉空間ですからね。
悪意というか意図というか、
「こういうことをやろう」
と思って、実際にやっちゃう人たちがいるんだ・・・
というのが、本当に衝撃でした。
思えば、この1995年(平成7年)近辺というのは、いろんなことがありまして、1月17日には阪神淡路大震災が発生しました。
自分が、営業したときのお客さんでで、1月に大阪にいて地震に遭い、3月に東京に転勤になって、サリン事件にあった、というひとが実際にいます。
個人的には、1994年(平成6年)12月に、住んでいたアパートが火事になり、文字通り体一つになってしまいました。
(もっというと、1994年(平成6年)6月に、バイトしてたパチンコ屋が火事になった)
その後、しばらくは近所の人のご厚意で、2ヶ月間だけ安い家賃で部屋を貸してくれることになり、そこに寝袋だけで生活していた時期があります。
そんな生活をしていたある日のこと。
銀行にお金を下ろしにいったらATMが動いていない。
仕方ないのでキャッシングのほうから、お金を下ろそうとしたら、従業員みたいな人が立っていて、
「いま、キャッシングはできません」
といわれてしましました。
(今日はなんなんだ?)
と思いつつも、理由を聞いてみると
「当社の管理センターが神戸にありまして、そこが動かなくなってしまったからです」
とのこと。
(東京のATMとなんか関係あるの?)
(神戸って、どういうこと?)
先ほどもいいましたが、当時、スマホもワンセグもないので、さらに自分は火事にあったせいでテレビもなく、事件とか何にも知らないのです。
関西方面で大地震があった、と知ったのは、その日の夜でした。
今回の、死刑執行のニュースから当時のことを思い出してみました。
個人的にもいろんなことがありましたね。
まあ、事件のインパクトから、一生忘れることはないでしょう。
以上、今回のニュースを見て(聞いて)頭に浮かんだことをずらずら書いてみました。
では。