こんにちは やぐらです。
いきなり結論ですが、
「価値観が合う」と幸せになり、
「価値観が合わない」と不幸にしかならない。
ということです。
社会は人間が作っているので、各人いろんな価値観があります。
家族。
友人。
恋人、夫婦。
経営者と従業員。
社員同士。
それぞれのコミュニティという単位のなかで
価値観はやはり合ったほうが幸せ、
あわないと不幸になりやすいです。
また、価値観が違うにしても、相手を尊重する姿勢がない場合、ほぼ不幸なことが起こります。
最近、自分が2年前に退職した職場の元同僚から「SOS」が入り、1年ぶりに会って、飯を食ってきました。
自分の性格を知ってる彼は、彼自身の中で煮詰まったときに、1年に1回位自分と会話することを望んできます。
彼の発する悩みや疑問などは、実は彼自信のなかで答えは決まっています。
そして、その思ってるとおりの回答をしてくれるのが自分、ということなんですね。
「SOS」の内容は、
「職場の空気に合わない」
「自分を排除しようという動きがある」
ということでした。
自分がいたときから、そんな職場でしたから、
「まあ、そうでしょうね」
と思っておりました。
自分が退職してからは、職場内で彼は「最後の異分子」的な扱いをされていて、いろんな攻撃の対象になっているようでした。
彼は、間違ったことは間違ってると、はっきり言う方なので、こんな扱いをされるのもしょうがないといえば、しょうがないです。
では、なぜ彼に攻撃が「集中」するようになったのか?
それは、
「彼の数十倍めんどくさい自分が退職させられたから」
でしょう。
めんどくさいやつ(自分)を退職させた、という実績(自信)が、どうも社内のある勢力が彼を追い込みに来てる、という印象を受けました。
自分がめんどくさいと思われたところは、おそらく自分の価値観にあったような気がします。
自分がその職場にいたときの、自分の価値観は、
それは、
「せっかく生まれてきたのだから幸せになろう」
そして
「あなたは、今の状況で幸せなんですか?」
ということ。
他人から言えば、完全に大きなお世話です。
そんなことはわかりきってます。
しかし、そう言わずにはいられないものがありました。
独身がひとり暮らしできないくらいの給料。
給料の2割くらいにもなりそうな、「自腹買い取り制度」
そんな壁がありながら、かろうじて正社員と「個人的なつながり」ができた一部の契約社員たちが、その人達の考えと合わない人を排除しようとしている、「奴隷」がさらに下の「奴隷」を作ろうとしている。
・・・
まあ、個人の価値観、主観なので、異論、反論はあるでしょう。
ただ、なぜ、ここまで言い切るかというと、
「それならば、なぜあんなに精神が病んだり、心が壊れる寸前の人間が多いのか?」
「そうならないために、魂を売らないといけないのか?」
「自分が幸せになるなら、自己主張の弱い人達を犠牲にしてもいいのか?」
そう思える光景がとても幸せには見えなかったからです。
自分がその会社の在職中、たびたび喧嘩してきましたが、そうなる以上は負けたくないので、
「自分の責任の範囲内で、仕事は誰よりもできるようにしておく」
という姿勢を貫いて来ました。
「あなたの言うとおりにやっているのに、なぜそんなに文句を言われなくてはいけないのか?」
というスタンスです。
あるときは、特定のグループから排除されて、5人分の仕事を1人でやったこともあります。
「自分ができたのだから、おまえらにもやってもらう」
みたいな揉め方は、何十回とありましたね。
ただ、ある時、気づきました。
「こういう状況こそ、『幸せ』だという人」がいるということに。
やはり、世の中色んな人がいて、いろんな考え方があります。
会社に不満があっても、
お金がほしくても、
「現状が変わるほうがいやだ」
「それでも、今のままで十分幸せ」
という人がほとんどです。
その会社に一生いよう、という人と
いずれ転職しよう、という人なんかでは、考え方があまりに違いすぎるのです。
「倍働いて、倍給料ほしい」
という考え方を、
「そこそこ働いて、適度にゆるい職場が一番いい」
ところに持ち込むと、揉めるにきまってます。
2年前に、自分が会社を辞めると彼に伝えた時、彼は自分に言いました。
「会社ともっと揉めてほしい」と。
自分は答えました。
「あの状況だと、自分対職場全体になってしまう」
「そんなことだと、辞めて独立したほうが効率的」
「そもそも時間のムダ」
と。
彼は、自分の性格を知りつつも、自分に対していい事はいい、悪いことは悪い、という人間なので、おそらくこれは彼の本心なのでしょう。
ただ、あまり幸せと呼べる人生を送ってこなかった自分にとって、
「幸せはよくわからないが」
「不幸はいくつか見てきたから多少知っている」
わけです。
だから、以前の職場にいた人たちの行動、考え方は、自分の価値観からすると、不幸なことにしか見えないのです。
もしかしたらあの職場の雰囲気は
「自分がよく知らない『幸せの形』」
なのかもしれません。
ただ、自分にとって、そのとき目の前に見えたものは
「これから不幸になる、ちょっと手前の光景」
にしか見えません。
社員の士気なんかは、さらに前に働いていて倒産した会社の雰囲気にそっくりです。
(国営が民営化した会社なので、倒産はまず考えなくていいのでしょうけど。)
こんな自分の価値観があるので、この会社、就業員とは合うわけがないのです。
その会社を退職してからは、そんな自分の現在は正直いいまして、収入とかも前職の3分の2くらいになりました。
ただ、ストレスを感じる度合いが、格段に下がりましたので、トータルでは確実に以前よりも「幸せ」を感じております。
そして、久しぶりの彼との会話の中で
10年間、彼と付き合ってきて初めて知ったことがありました。
それは
「実は、彼はものすごい営業スキルがある」
ということ。
不動産営業の経験がある自分がびっくりしたのは、
彼は
「とある会社に入社して、初日の午前中に『仏壇』を売ったことがある」
そうです。
不動産営業時代、入社1週間で3本契約したすごい人を知ってますが、「仏壇」も相当売りにくいはずです。
「仏壇の知識なんかなくて、人間関係だけで買ってくれた」
これは、驚異的なことです。
しかも、彼自信
「どうも物を売ることに罪悪感があって、営業はあまりやりたくない」
ので、それ以降営業の仕事は避けてきた、と。
しかし、これは宝の持ち腐れ、というやつです。
「罪悪感」を感じるのは、「罪悪感」を感じるものを売ってるからそうなるのであって、自分が惚れ込んだもの、自分の信念が詰まったもの売れば、ものすごい成績を挙げられるような気がするんですが・・・
今彼がいる会社は、彼の価値観を全否定してきているわけですから、生産性とか精神的な満足感とか、どちらがいいのかはっきりしているはずです。
その会社で働くしかないのならしょうがないです。
でも、彼の話を聞くと、そんなことはないです。
自分自身を勘違いしているか、あえて「欲」を抑え込んでいるようにしか見えません。
あまりにもったいないです。
営業は「価値観」がわかりやすい仕事です。
営業する人、会社、商品・サービスが、買う人にとって価値を感じたから買ってもらえるのです。
しかも、買ってくれた方から「ありがとう」とまで言われたりします。
売る側、買う側で「価値観」が合うということは、とても幸せなことなのです。
どちらも幸せになるからです。
そして、久しぶりの再会の最後に自分は彼に言いました。
「価値観のミスマッチほど、不幸なことはないよ」と
そして、彼は
「まあ、今日話してちょっとだけ元気出た」
と、最後笑顔になって、その日は別れました。
彼の話を聞いて、自分のほうにも少し、改めて見えて来たことがあるような気がします。
やはり、人の役に立つことをしたい。
人に笑顔になってもらいたい。
苦しんでいる人にすっきりしてもらいたい。
今まで見てきた、「不幸な顔」はもう見たくない。
こんな自分にできることはなんだろう。
だれかを元気にできるだろうか・・・
そんなことを思ったわけです。
がんばりますよ。
今回は、以上です。
ありがとうございました。