とりあえずやってみた

とにかくやってから、考えます

ワタクシ、やぐらじろうはこんな人生を送ってきました。

こんにちは やぐらです。

 

某書籍を読んでましたら

「プロフィールを細かめに作ったほうがいい」

ということでしたので、

履歴書風に書いてみました。

 

実際に面接したときに提出する履歴書は

だいぶ省略してますけどね・・・(ナイショ)

 

なんとなくですが

作っていたら

いやな思い出が先に出てきたので

多少ネガティブな内容になっております。

 

ただ、

どちらかといえば

自分はとても楽観的で

よく怒られるタイプの人間である。

ということは申し添えておきます。

ではどうぞ。

 

 

 

 

やぐらじろう: 年齢:もうすぐ50代

学生編

小学校4年生のとき

国語の授業で 「漢字対決」 というのがありました。

やり方は 1対1の個人対決でして、

サッカーのPKのように

まず、5問が出されて正解数が多い方が勝ち。

となります。

 

引き分けのときは、さらに5問が追加されて、

追加分の正解数が多い方が勝ち。

 

これでも引き分けのときは

さらに、5問追加・・・

 

こんなところです。

 

そしてある日の授業のこと。

 

自分はA君との対決でした。

それまで、 自分もA君も4戦して4勝

おたがい、ノーミスの完全勝利。

 

対決が始まると・・・

まず、最初の5問はお互い完璧。

追加の5問も、これもお互い完璧。

さらに追加の5問も、お互い完璧。

さらにさらに追加の5問が出されたとき

授業の終了のチャイムが鳴りました。

 

その結果は、 「A君の勝ち」

「やぐら君のこの漢字の『はね』が違う」

自分が、ひとつ間違えた

という判断をされました。

 

自分は、納得がいかなくて

そのあと、泣いてしましました。

 

他の人に解答を見せても

「どこが間違いなの?」

という声がほとんどでしたが、

「先生がそう判断した」 ということで、

他の人は、 その後は特に何も言わなくなりました・・・

 

今思うと 「先生がめんどくさくなった」 と、

考えるのがしっくりくると思うのですが、

 

自分は、

特にかっこよくない、

運動も苦手、

絵も下手、

歌もうまくない、

おもしろいことも言えない

 

そんな小学生にとっては

「テストの点数がいい」

「勉強ができる」

というのは、

 

自分に対する自信みたいなものでしたので

この 「漢字を間違えた、と判断された」 ことは

その後心の中に しばらく残ることになりました。

 

自分のなかで 「ちゃんとしてるはず」 でも、

受け取る側が 「違う、まちがってる」 と、

判断すればそれまでです。

 

「相手を説得してでも自分のことを主張するのは無駄」

 

こんな考え方が出来上がっていきます

 

小学校6年生のとき

自分の好きだった女の子が

「放課後体育館に来てくれと言っている」 と、

ある女子から言われたので、

そのとおり行ってみたら、

男子5人、女子10人くらいがいて

「本気にしてたの?」 と、

その光景を見た瞬間 からかわれたことを察知し、

その場にいた、全員をぼこぼこにする (すいません)

このときのことで 先生に怒られた記憶がないので

おそらく相手方が 先生に怒られたと思われるのですが、

今となっては定かではないです。

 

首謀者は、 すごい仲良くしてた男のやつだったのですが、

「やぐらはこういう扱いをしても大丈夫」

と思っていたのでしょう。

 

このことも

「どんなに仲良くてもこういうことをする人がいる」

という考え方が出来上がっていきました。

ただ、どういうわけか その後の人生で

「こういう扱い」 ばかりされるようになります。

中学校のとき

「お前は、県立の進学校に行って、

 大学に行って、

 公務員になるために育ててきた」 と、

親から毎日のように言われるようになり

これに耐え切れずに1週間ほど逃亡する

高校生のとき

3年生が大学受験の志望校を決めるときに、

「地元の国立大学なら受かりそう」

という先生や親の声を完全無視して

受かりそうにない、首都圏の国立大学を受験して落ちる。

 

あえて落ちることを前提に受験したので

精神的にはノーダメージ。

 

万が一受かっても、

親と離れることができるので

それはそれでよかったのですが

無理目の志望校はそんなに簡単には合格できず。

 

浪人するかどうか親と相談しても

お金の話しかしないので、

完全にうんざりして

浪人しないで働くことにする

 

学生のときは、

「自分を認めてもらいたい」

「自分の話を聞いてほしい」

という欲求が強くなるような出来事が

多かった気もします

 

 

 

 

職歴

成田空港内のお仕事

社員寮で自分の貯金通帳を見ていたやつがいたので

身の危険を感じて、4ヶ月で逃亡

警備会社

会社的には、特に問題はなかったのですが、

そこで働いていた人たちの中で

クセの強い人と合わずに、 9ヶ月で逃亡

コンビニ

バイト時代(約1年)は、結構な扱いを受ける。

一人勤務させられたときに 毎日のように、

「仕事ができていない」 と、

怒られてましたが

 

一度頭にきて、

「そんなに文句あるなら、お前らがやってみろ」

とキレる

 

実は、店長、オーナーですら

できないほどの仕事量だったことが発覚して

その後、自分との立場が逆転する。

 

その後、店長時代(約4年):

「給料月40万くれたらやってもいい」 と、言ったら

ほんとにくれることになったので

やらざるを得なくなる。

 

1日14時間労働、3ヶ月休みなしなどを経験。

今思うと倒れなかったのが不思議なくらい

 

オーナーの

「大変なのはあいつにやらせておけばいいんだよ」

という言葉を聞いてキレる

 

「仕事を辞める」 といったら、

オーナーに相当説得されましたが、

「こういうこと言うやつの下では働けない」 と、振り切る

 

仕事をやめた後、

1ヶ月ほどヨーロッパに逃亡

ロンドンの公園で1日中寝てる。

という生活をする。

葬儀屋

いろいろ勉強になることもあって

面白い職場でしたが、

当時ペーパードライバーだったのに

相手先の車を運転してぶつけたため

仕事をもらえなくなり退社

パチンコ屋

そこそこ給料もよく、

仕事もコンビニ時代と比べると

楽でしょうがなかったのですが、

 

住んでたアパートが火事になり

住むところを優先しようと、

「社員寮に住めばいい」

という発想になってしまったため

この仕事を退社

 

タイムマシンがあったら

このときにもどりたいと

激しく思います

不動産の営業

求人雑誌、面接してくれた人

ともに印象がよかったので、

入社しましたが、

実態は、完全なブラック企業でした

 

心身ともにぼろぼろになり

地元に帰ることを決意し、

この会社を逃亡

 

 

 

 

地元編

コンビニ

都会と比べると求人も少ないので

未経験の仕事には就けずに

経験のある仕事 ということで働いてみましたが、

 

都会もそうでしたが

「仕事の仲間内の意識」

が強すぎて

仕事もプライベートも一緒みたいな雰囲気が合わずに

もう少し条件のいい職場の面接を受けて 受かったので、

すぐに逃亡

スーパー

直接の上司、一般社員は

気さくでいい人が多かったのですが

その上のなんとかマネージャーが

露骨に人格否定みたいなことを言うので

しばらくして衝突する

 

「ここはスーパーなんだよ」

「コンビニじゃねえんだ」

こんなことばっかり言われてました

(いまだに発言の意図がわかりません)

 

職場の雰囲気は

その組織の単位の中の

いちばん上の人が作る というのを、

強く思った職場で

ある意味いい勉強になりました。

運送会社

一緒のポジションで仕事する人たちと

合わずにいましたが、

(不良の男子高校生のノリを、職場でもやってる感じ)

何とか4年くらいいる

会社が合併したため職場を移る

某郵便局

5年ほどいましたが、

管理職とぶつかり 退社するように言われる

 

こんなところです

一言で言えば 相当のだめな人間です。

仕事しない、できない人に

合わせることができないので

最終的には、ほとんどぶつかってきました。

 

履歴書にそのまま書いたら

だれも採用しないよね・・・

 

基本的な思考として

「がむしゃらに働けば周りが認めてくれる」

と、思っていたのですが、

 

どうも、もともとが社交的ではないため

「めんどくさいことはあいつにやらせよう」

という場合の、ターゲットにされてばかりな気もします。

(ほぼ、被害妄想)

 

こんなタイプの人間であります。

 

以前、経験してきたことを

多少記事にしてるので

参考にしてみてください

 

 

 

gogojuggler1969.hatenablog.com

 

 

 

gogojuggler1969.hatenablog.com

 

 

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