高校野球史上いまだに語り継がれる「伝説の試合」
こんにちは やぐらです。
7月も半ばになりまして、高校野球の地方大会の季節となりました。
うちの県では、巨人の坂本勇人選手の母校「光星学院(八戸学院光星高校)」と先日のサッカーW杯で活躍しました柴崎岳選手の母校「青森山田高校」がそこそこ有名であります。
(プロ野球選手もいたような気もしますが省略)
また、1969年夏の甲子園大会決勝で延長18回を一人で投げぬき、引き分け再試合となった伝説の試合「三沢高校 (青森県代表)vs 松山商業」戦なんかもありまして、優勝校は出ていませんが、記憶に残る名勝負を残したりしています。
wikipedia より
さて、今から20年前の1998(平成10)年7月18日、青森県の地方大会でいまだに記録が破られることのない「伝説の試合」がありました。
県大会の2回戦 東奥義塾 対 深浦(現木造高校深浦校舎)戦です。
結果はこちら
122対0です。
1回表に39点とっています。
当時、東奥義塾高校は甲子園出場4回のなかなか強いチーム
かたや深浦高校は正式な野球部員は4人、残りは柔道部、陸上部、卓球部から人を借りての出場でした。
当時の規定では7回までいかないとコールドゲームにならなかったため、
5回裏終了時に試合を放棄して「没収試合」にしようか?
という相談がなされたほどでしたが、
深浦高校の選手の一人が
「応援してくれる人がいる以上は最後までやりたい」
ということで試合は続行。
東奥義塾高校の監督、選手も
「全力でやらないとかえって失礼」
ということで、手抜きなし。
そんなこんなでこのような結果になりました。
青春の1ページとしては、お互い後味がよかったのか悪かったのかは、当事者ではないのでわかりませんが、個人的には一定のルールにのっとってやっている以上、これはこれで正解のような気がします。
参考として、
勝った東奥義塾高校は、次の3回戦でコールド負け。
負けた深浦高校は、翌年の夏の大会では0対54のコールド負け、でした。
サッカーW杯、高校野球とか、最後に優勝するのが1チームだけ、のこりは全部どこかで負けてしまうわけです。
スポーツに限りませんが、全力をだして取り組んだことはその後の人生でなんらかのプラスになるはずですから、結果をおそれずがんばっていただきたいものです。
では。