とりあえずやってみた

とにかくやってから、考えます

「こんな子供になってほしい」というのは親のエゴなのか?

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子供は親の希望通りに育つのか?

 

こんにちは やぐらです。

ちょっといろいろ思うことがありまして、育児書を読みはじめたところであります。今回はこの2冊と別にプラス3冊(計5冊)を読んでみました。

 

「自分の頭で考える子」になる育て方 ~地頭をよくする9つの力

「自分の頭で考える子」になる育て方 ~地頭をよくする9つの力

 

 

 

「非認知能力」の育て方:心の強い幸せな子になる0~10歳の家庭教育

「非認知能力」の育て方:心の強い幸せな子になる0~10歳の家庭教育

 

 

個人的には、「未婚独身、実子も隠し子もなし」なので「幼児教育」とか特に気にしなくても生きていけるのです。

しかし今年は通り魔やら放火やら嫌な事件がありまして、ニュースやワイドショーなどでは「どんな育ち方をするとああなるのか?」ということが中心に報道されることがたびたびありました。

(やたら子供、学生時代のことが報道されるのは、「犯行の原因は育ち方にある、と主張したい」としか思えないのですが、それだけではないと思いますけどねえ・・・)

 

元農水事務次官の方が息子を殺してしまった事件では、親が子供に対する自分の育て方に責任を感じて及んだ犯行、というふうに伝えられています。

 

事件を起こしてしまった人に対して、「子供に対する親の育て方が悪かった」というのは簡単ですが、結果論に過ぎないような気がしますし、この事件を起こした人の通りに子供を育てると、必ず凶悪事件を起こすようになるかと言えば、そんなことはないとおもわれます。

 

 

 

 

 

どんな子供になってもらいたいか? 

こういうふうに育ってほしい、と親が思うのはごく自然なことですし、「人様に迷惑をかけずに」「大人になったら自立して稼いでいけるように」なんかは「人間の生きる意味」くらいの大目標といってもいいでしょう。

 

ただ、個人的に違和感が出始めるのが「では、実際にどう子供を育てるのか?」「具体的にはどんな子供になってもらいたいか」というところ。

 

自分の違和感の元になっていることは、20代のころに読んだどこかの新聞記者がヨーローパに赴任したときに書いた本の内容に影響されています。

この本の内容は、この記者の方が感じた日本とヨーロッパの生活習慣や考え方の違いなどを記事にしたものです。その本の内容が「いい悪い」というのは別にして、その内容が自分にとって「心に刺さってくる」ことが多かったからです。

 

本を読んだのは25年以上前ですが、特に記憶に残ってる内容があります。

 

ある国(たしかイギリスだったと思う)の小学生の母親たちが、子供たちにもっと自主的に勉強するようになってもらおうということで、学校の先生に宿題を多く出してもらうようにとか、もっと課題を増やしてもらおうとか、先生に直接掛け合ったそうです。

 

その時の先生の答え

「勉強すること自体はいいことですが、全員が学者になってしまったら、世の中成り立たなくなりますからねえ」

 

「学者も政治家も清掃員もトラック運転手もサッカー選手も世の中には必要です。」

 

「いい言い方ではありませんが、もし『勉強しないと子供がこんな職業にしかつけない』と親御さんが思っているのであれば、それはちょっとよろしくないと思いますよ。」

 

「世の中のルールとかは教えないといけないですが、その他は子供の興味が出るのにまかせましょう。勉強に興味が出てくればたくさん勉強すればいいことです」

 

このときの母親たちは、なにも言い返せずに帰っていったとか。

 

これは日本(というかどこでも)にも当てはまることです。最低限生活できるようであればいいわけで、「職種」というのは本来、何でも良いように思います。

 

それと、同じ本の内容かどうかは忘れましたが、父親の職業年収に対して、子供にどうなってもらいたいか?というのが、日本とヨーロッパでは多少の違いがあるようです。

 

日本では

「勉強しないとお父さんみたいになるわよ」

と、母親が口酸っぱく言うイメージになっています。

 

これに対してヨーロッパでは

「勉強しないとお父さんみたいになれないわよ」

と、日本と逆のことを言うのです。

 

「医者の息子が絶対医者に」というレベルではなく、一般的な職業でもこういうふうに言うらしいですね。日本では父親は「サゲ」られてしまいがちですが、外国では「父親は偉大」という前提のようです。

 

個人的には、この記事の説得力がありすぎて、以後自分の人生にかなり影響を与えています。

「自分がやったことがない職業を馬鹿にする人」「職業に貴賎のある人」に、たびたび出会ってきましたが、自分的には最も「嫌いなタイプ」です。自分が出来ないことを誰かがやっているから世の中は回っているのです。自分に迷惑をかけるわけでもないのに、なぜあんなに「他人を卑下」するのか理解に苦しみます。

 

 

 

 

逆にどんな子供になってもらいたくないのか?

 

それを踏まえまして、教育関連の本を読むと実はかなり違和感を感じます。

まず、「教育」なので、「どういう子供になってもらいたいか?」というのが全面に出てきます。親なので子供に対するなにかしらの思いは当然あります。

 

たとえば、冒頭の本のタイトルは

「自分の頭で考える」

「心の強い幸せな子になる」

と、なっていますがこれは誰の希望、目標なんでしょうか?

 

当然親の希望、願いです。

 

子供自身が「自分の頭で考えるようになりたい」とは、言うことがないですから、当然親の希望です。

「おれはもしかして、メンタル弱くて不幸なのかも?」と子供自身が考えることもないのでこれも親の希望です。

 

親がこう思うのは自然なことですし、特に悪いことはありません。

 

ただ「こうなってもらいたい」というのですから、当然「こうなってもらいたくない」というのが裏表セットになっているはずです。

この「こうなってもらいたくない」というところに多少の「違和感」を感じるときがあります。

 

「世の中のルールを守る」「他人に迷惑をかけない」という社会規範的なことは、しっかり教えておかないといけないところです。

これの裏「世の中のルールはたまに破っても良い」「自分だけ良ければ他人が嫌な思いをしてもいい」と正面切って教える親はほとんどいないでしょう。

(残念ながら、口では直接言わないにしても、態度、行動で「そんなことしていいんだ」と子供に思わせてしまうような親はときどきいる)

 

「自分の頭で考える子」にしたいのですから、「自分の頭で考えられない子」になってもらいたくないのです。とすると「自分の頭で考えられない子」というのはそんなに悪いことなのか?というところです。

 

また、もう一方の本も「心が強い」と「幸せになる」といってますので、「心が弱いと不幸になる」と思ってる、と取られかねない気がします。

(多分に個人の思い込みのせいもある)

 

なぜ、そう思うのかと言うと、この本に書かれていることではないですが、「こんな子供になってほしい」の先には「収入の高い職業についてもらいたい」という本当のゴールがあるように思うからです。

 

その「収入の高い職業についてもらいたい」自体は良いと思いますが、裏返すと「収入の低い職業にはついてもらいたくない」ということになります。これも生活していかなくてはいけないので、特に間違った考え方ではないと思います。

 

ただ、親が「職業には貴賤がある」という態度だとすると、間違いなく子供に伝わるような気がするのですが・・・

 

これと同じことで「非認知能力」という言葉を検索すると、

非認知能力とは、一般知能(IQ)とは関係のない、粘り強さ、協調性、やり抜く力、自制心、感謝する力といった類のものです。

引用:第64回 IQよりも重要な「非認知能力」を高めよう | ヒューマンキャピタル Online

 

と、なっています。しかしこの「非認知能力」にも以下のような説明がつきます。

 

実証分析の結果、これらの非認知的スキルは、学歴、賃金、昇進の違いに統計的に有意な影響を与えていたことが明らかになった。

引用:https://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/14e023.html

 

ざっくり言うと、「非認知能力を上げると収入もあがるかもよ」となりますね。

やはり、「収入を上げるために」という目的が見えてきます。

何度も言いますが、「収入を上げようと思う」こと自体に問題があるわけではありません。

「収入の上がらなそうな仕事」を卑下しなければいいのです。

 

 

 

 

親には永久になれない気がする

 

そして、とりあえず2冊の本を読んだ率直な感想は、

「やること多すぎ」

の一言に付きます。

 

ここまでしないと「いい親」にはなれないのか?と思うと、自分なら確実にパンクしそうです。よく、育児は妻に任せきりとかいう人がいますが、妻もパンクしますよ。

(それでも、「ぐちを言う」くらいで済んでいるなら、相当できた嫁さんですから大事にしましょう。というか旦那も家事育児をしましょう。)

 

「自分の頭で考える子」のほうは、目次がこんな感じです。

第1章 コミュニケーション能力を伸ばす―地頭の基礎となる「人の話を聞ける力」と「自分の意見を言う力」
第2章 共感力を伸ばす―「やさしさ」と「思いやり」は人間関係の土台をつくる
第3章 自立心を伸ばす―自分を信じ、自ら決断できる「根」を育てる
第4章 責任感を伸ばす―「約束を守る子」は仲間と信頼関係が築ける
第5章 人を敬う気持ちを伸ばす―マナーとルールを理解した「人に好かれる子」にするために
第6章 正直さを伸ばす―「思いやりの嘘」と「人を傷つける嘘」の違いを教える
第7章 独立心を伸ばす―リスクを恐れずチャレンジする子の特徴とは?
第8章 感謝する気持ちを伸ばす―与えすぎると幸せになれない
第9章 ユーモアの能力を伸ばす―「いじめ」をかわし、失敗を笑える強さを身につける

 

例えば第1章なら、「コミュニケーションを能力を伸ばす」ためには、という内容なので、そのためには

・年齢に合わせて場所を変える

・子供との間に壁になるものを置かない

・子供にアイコンタクトを強要しない

・(以下続く)

ということをしましょう、となっていますが、この本全体でこのようなことが少なくとも200項目以上書いてあります。

 

著者は育児関連のコンサルタントをしていた人なので、著者が出会った人たちが悩んでいたことをすべて網羅すると、この位の量になるのでしょう。ただ、「これを全部こなさないと『自分の頭で考える子』にならないのでは?」と思ってしまったら、とても実行するのは無理です。

(あくまでも未婚独身子なしの感想。子育て経験があればこなせるのかも)

 

このあたりが、自分が積極的に子供がほしいと思わない理由の一つになります。

 

そして、「自分がこういう考え方になるのは、自分の幼児、小学生くらいの教育が原因なのではないか?」ということに行き着いたので、教育関連の本を読んでみた、となります。これが「諸事情」というやつです。

 

(特に子供が生まれる予定ができた、ということではない)

 

今回読んだ本は子供の能力の話が中心なので、性格形成関係の本にはまた違うように思うことが書いてあるのかも知れません。引き続き教育関連の本を読んでいきたいと思います。

 

では。

 

 

 

 

「こんな子供になってほしい」というのは親のエゴなのか?

f:id:gogojuggler1969:20190908200043j:plain

 

 

 

 

子供は親の希望通りに育つのか?

 

こんにちは やぐらです。

ちょっといろいろ思うことがありまして、育児書を読みはじめたところであります。今回はこの2冊と別にプラス3冊(計5冊)を読んでみました。

 

「自分の頭で考える子」になる育て方 ~地頭をよくする9つの力

「自分の頭で考える子」になる育て方 ~地頭をよくする9つの力

 

 

 

「非認知能力」の育て方:心の強い幸せな子になる0~10歳の家庭教育

「非認知能力」の育て方:心の強い幸せな子になる0~10歳の家庭教育

 

 

個人的には、「未婚独身、実子も隠し子もなし」なので「幼児教育」とか特に気にしなくても生きていけるのです。

しかし今年は通り魔やら放火やら嫌な事件がありまして、ニュースやワイドショーなどでは「どんな育ち方をするとああなるのか?」ということが中心に報道されることがたびたびありました。

(やたら子供、学生時代のことが報道されるのは、「犯行の原因は育ち方にある、と主張したい」としか思えないのですが、それだけではないと思いますけどねえ・・・)

 

元農水事務次官の方が息子を殺してしまった事件では、親が子供に対する自分の育て方に責任を感じて及んだ犯行、というふうに伝えられています。

 

事件を起こしてしまった人に対して、「子供に対する親の育て方が悪かった」というのは簡単ですが、結果論に過ぎないような気がしますし、この事件を起こした人の通りに子供を育てると、必ず凶悪事件を起こすようになるかと言えば、そんなことはないとおもわれます。

 

こういうふうに育ってほしい、と親が思うのはごく自然なことですし、「人様に迷惑をかけずに」「大人になったら自立して稼いでいけるように」なんかは「人間の生きる意味」くらいの大目標といってもいいでしょう。

 

 

 

 

どんな子供になってもらいたいか? 

 

ただ、個人的に違和感が出始めるのが「では、実際にどう子供を育てるのか?」「具体的にはどんな子供になってもらいたいか」というところ。

 

自分の違和感の元になっていることは、20代のころに読んだどこかの新聞記者がヨーローパに赴任したときに書いた本の内容に影響されています。

この本の内容は、この記者の方が感じた日本とヨーロッパの生活習慣や考え方の違いなどを記事にしたものです。その本の内容が「いい悪い」というのは別にして、その内容が自分にとって「心に刺さってくる」ことが多かったからです。

 

本を読んだのは25年以上前ですが、特に記憶に残ってる内容があります。

 

ある国(たしかイギリスだったと思う)の小学生の母親たちが、子供たちにもっと自主的に勉強するようになってもらおうということで、学校の先生に宿題を多く出してもらうようにとか、もっと課題を増やしてもらおうとか、先生に直接掛け合ったそうです。

 

その時の先生の答え

「勉強すること自体はいいことですが、全員が学者になってしまったら、世の中成り立たなくなりますからねえ」

 

「学者も政治家も清掃員もトラック運転手もサッカー選手も世の中には必要です。」

 

「いい言い方ではありませんが、もし『勉強しないと子供がこんな職業にしかつけない』と親御さんが思っているのであれば、それはちょっとよろしくないと思いますよ。」

 

「世の中のルールとかは教えないといけないですが、その他は子供の興味が出るのにまかせましょう。勉強に興味が出てくればたくさん勉強すればいいことです」

 

このときの母親たちは、なにも言い返せずに帰っていったとか。

 

これは日本(というかどこでも)にも当てはまることです。最低限生活できるようであればいいわけで、「職種」というのは本来、何でも良いように思います。

 

それと、同じ本の内容かどうかは忘れましたが、父親の職業年収に対して、子供にどうなってもらいたいか?というのが、日本とヨーロッパでは多少の違いがあるようです。

 

日本では

「勉強しないとお父さんみたいになるわよ」

と、母親が口酸っぱく言うイメージになっています。

 

これに対してヨーロッパでは

「勉強しないとお父さんみたいになれないわよ」

と、日本と逆のことを言うのです。

 

「医者の息子が絶対医者に」というレベルではなく、一般的な職業でもこういうふうに言うらしいですね。日本では父親は「サゲ」られてしまいがちですが、外国では「父親は偉大」という前提のようです。

 

個人的には、この記事の説得力がありすぎて、以後自分の人生にかなり影響を与えています。

「自分がやったことがない職業を馬鹿にする人」「職業に貴賎のある人」に、たびたび出会ってきましたが、自分的には最も「嫌いなタイプ」です。自分が出来ないことを誰かがやっているから世の中は回っているのです。自分に迷惑をかけるわけでもないのに、なぜあんなに「他人を卑下」するのか理解に苦しみます。

 

 

 

 

逆にどんな子供になってもらいたくないのか?

 

それを踏まえまして、教育関連の本を読むと実はかなり違和感を感じます。

まず、「教育」なので、「どういう子供になってもらいたいか?」というのが全面に出てきます。親なので子供に対するなにかしらの思いは当然あります。

 

たとえば、冒頭の本のタイトルは

「自分の頭で考える」

「心の強い幸せな子になる」

と、なっていますがこれは誰の希望、目標なんでしょうか?

 

当然親の希望、願いです。

 

子供自身が「自分の頭で考えるようになりたい」とは、言うことがないですから、当然親の希望です。

「おれはもしかして、メンタル弱くて不幸なのかも?」と子供自身が考えることもないのでこれも親の希望です。

 

親がこう思うのは自然なことですし、特に悪いことはありません。

 

ただ「こうなってもらいたい」というのですから、当然「こうなってもらいたくない」というのが裏表セットになっているはずです。

この「こうなってもらいたくない」というところに多少の「違和感」を感じるときがあります。

 

「世の中のルールを守る」「他人に迷惑をかけない」という社会規範的なことは、しっかり教えておかないといけないところです。

これの裏「世の中のルールはたまに破っても良い」「自分だけ良ければ他人が嫌な思いをしてもいい」と正面切って教える親はほとんどいないでしょう。

(残念ながら、口では直接言わないにしても、態度、行動で「そんなことしていいんだ」と子供に思わせてしまうような親はときどきいる)

 

「自分の頭で考える子」にしたいのですから、「自分の頭で考えられない子」になってもらいたくないのです。とすると「自分の頭で考えられない子」というのはそんなに悪いことなのか?というところです。

 

また、もう一方の本も「心が強い」と「幸せになる」といってますので、「心が弱いと不幸になる」と思ってる、と取られかねない気がします。

(多分に個人の思い込みのせいもある)

 

なぜ、そう思うのかと言うと、この本に書かれていることではないですが、「こんな子供になってほしい」の先には「収入の高い職業についてもらいたい」という本当のゴールがあるように思うからです。

 

その「収入の高い職業についてもらいたい」自体は良いと思いますが、裏返すと「収入の低い職業にはついてもらいたくない」ということになります。これも生活していかなくてはいけないので、特に間違った考え方ではないと思います。

 

ただ、親が「職業には貴賤がある」という態度だとすると、間違いなく子供に伝わるような気がするのですが・・・

 

これと同じことで「非認知能力」という言葉を検索すると、

非認知能力とは、一般知能(IQ)とは関係のない、粘り強さ、協調性、やり抜く力、自制心、感謝する力といった類のものです。

引用:第64回 IQよりも重要な「非認知能力」を高めよう | ヒューマンキャピタル Online

 

と、なっています。しかしこの「非認知能力」にも以下のような説明がつきます。

 

実証分析の結果、これらの非認知的スキルは、学歴、賃金、昇進の違いに統計的に有意な影響を与えていたことが明らかになった。

引用:https://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/14e023.html

 

ざっくり言うと、「非認知能力を上げると収入もあがるかもよ」となりますね。

やはり、「収入を上げるために」という目的が見えてきます。

何度も言いますが、「収入を上げようと思う」こと自体に問題があるわけではありません。

「収入の上がらなそうな仕事」を卑下しなければいいのです。

 

 

 

 

親には永久になれない気がする

 

そして、とりあえず2冊の本を読んだ率直な感想は、

「やること多すぎ」

の一言に付きます。

 

ここまでしないと「いい親」にはなれないのか?と思うと、自分なら確実にパンクしそうです。よく、育児は妻に任せきりとかいう人がいますが、妻もパンクしますよ。

(それでも、「ぐちを言う」くらいで済んでいるなら、相当できた嫁さんですから大事にしましょう。というか旦那も家事育児をしましょう。)

 

「自分の頭で考える子」のほうは、目次がこんな感じです。

第1章 コミュニケーション能力を伸ばす―地頭の基礎となる「人の話を聞ける力」と「自分の意見を言う力」
第2章 共感力を伸ばす―「やさしさ」と「思いやり」は人間関係の土台をつくる
第3章 自立心を伸ばす―自分を信じ、自ら決断できる「根」を育てる
第4章 責任感を伸ばす―「約束を守る子」は仲間と信頼関係が築ける
第5章 人を敬う気持ちを伸ばす―マナーとルールを理解した「人に好かれる子」にするために
第6章 正直さを伸ばす―「思いやりの嘘」と「人を傷つける嘘」の違いを教える
第7章 独立心を伸ばす―リスクを恐れずチャレンジする子の特徴とは?
第8章 感謝する気持ちを伸ばす―与えすぎると幸せになれない
第9章 ユーモアの能力を伸ばす―「いじめ」をかわし、失敗を笑える強さを身につける

 

例えば第1章なら、「コミュニケーションを能力を伸ばす」ためには、という内容なので、そのためには

・年齢に合わせて場所を変える

・子供との間に壁になるものを置かない

・子供にアイコンタクトを強要しない

・(以下続く)

ということをしましょう、となっていますが、この本全体でこのようなことが少なくとも200項目以上書いてあります。

 

著者は育児関連のコンサルタントをしていた人なので、著者が出会った人たちが悩んでいたことをすべて網羅すると、この位の量になるのでしょう。ただ、「これを全部こなさないと『自分の頭で考える子』にならないのでは?」と思ってしまったら、とても実行するのは無理です。

(あくまでも未婚独身子なしの感想。子育て経験があればこなせるのかも)

 

このあたりが、自分が積極的に子供がほしいと思わない理由の一つになります。

 

そして、「自分がこういう考え方になるのは、自分の幼児、小学生くらいの教育が原因なのではないか?」ということに行き着いたので、教育関連の本を読んでみた、となります。これが「諸事情」というやつです。

 

(特に子供が生まれる予定ができた、ということではない)

 

今回読んだ本は子供の能力の話が中心なので、性格形成関係の本にはまた違うように思うことが書いてあるのかも知れません。引き続き教育関連の本を読んでいきたいと思います。

 

では。

 

 

 

 

【超重要】営業を断るなら、理由を述べずに一直線に断ること

https://yukita-akira.com/wp-content/uploads/2019/08/01BK04002024.jpg

 

 

 

あなたは、プライベートの時間に何かの営業がやってきた場合、断るときに何と言ってますか?

 

「いりません」

「時間がないので」

「忙しいので」

 

簡単に引き下がる営業だと、話は早いのですが、なかなかしつこく食らいついてくる営業の人もたまにいます。

 

「なぜ、こんなにしつこいのだろう?」

 

と、思うこともあります。

 

それは、なぜかと言えば、契約がとれずに会社に帰ると、それはそれは人様には言えないような仕打ちが待っているからです。

 

なので、相手に嫌われるとか怒られるとかほとんど気にしていません。「その程度」で済むなら、会社に帰ったあとに「瀕死の重傷」を負うのと比べれば、これっぽっちも気にしていません。

 

電話営業なら何回も同じ人から掛かってきたり、家の前で呼び鈴を何回も押されたりとか、「もはや犯罪じゃねーの?」と思われる一歩手前のところまでやる人も実際にいます。

 

なぜここまでやるのかと言えば、先程言ったとおり会社に帰ったらひどい仕打ちが待っていることと、他の人に同じようなことを何回もやっているので、「捕まらないギリギリのライン」というのを知っているためです。

 

当然、ここまでやる営業相手には、普通の断り方ではなかなか諦めてくれません。

 

そこで、これくらいしつこいレベルの営業相手を断るための最善の方法は、「無表情、無感情、『いりません』のオウム返し」が最強の断り方になります。

 

何も考えず、何も思わず、ただただ「いりません」を繰り返します。

 

(いたって普通なのでは?)

と思うところですが、これを最後までやりきるのが難しいところになります。

 

最初の数回はこの通りできても、数回断っても諦めない営業に対して、ついつい余計なこと(怒ったり、断る理由をつけたりとか)をしたために、そのことについて突っ込まれるからです。

 

一番多いのが、断るときに「理由」をつけてしまうこと。

この理由が本当か嘘か、本音か建前か、は関係ありません。

 

なぜ、まずいのかというと「条件付きで断っている」と相手に取られるからです。

 

条件が合わないので断ってる

→ 条件が合えばOK

 

というふうに持っていかれてしまいます。

 

例えば

「忙しいから今時間ない」

と言ったとしても、

 

向こう側の理屈では

 

時間ない → だめ

時間あれば → OK

 

と、なってしまっています。

 

よくある例では「時間ない」と断っても、昼休みとか日曜日の夕方とかに再びやってきて「今なら時間ありますよね」と言われてしまいます。

もちろん口からついつい出た建前上の断りでも、こんな感じで突っ込んできます。

 

 

 

 

 

特に、ちょっと話を聞いてしまったために何かを買わされそうになってしまった場合

 

「お金ないので」

 

と言うと大丈夫、と思ってる人は要注意。

 

 

お金ないので買わない

→ お金あれば買う

 

または

→ ローン組んで支払えれば買う

 

というふうに持っていかれて、逃げられなくなります。

 

営業の側からすると、「断り文句」というのは、何百種類もあるわけではないので、「こう言ってきたらこう返す」というのがほぼ確立されています。経験値が違いすぎるので、素人の浅い考えではまず太刀打ちできないでしょう。

 

そのため、断り文句のなかに「条件付き」に出来る言葉、単語が出てくるように営業トークを展開していくので、その「スキ」を与えないように、「余計なことは何も言わない」というのがベストなわけです。

 

自分が不動産営業のときには、「『マイホームは持ちたいですよね?』と最初に言え」と教わりました。

 

本音でも建前でも「そりゃ持ちたい」という言葉を引き出してから、それに対してがんがん営業トークをしていくわけです。

 

「いやいらない」と言われても、

「家賃払ってますよね?家賃と同じ金額で持てれば持ちたいですよね?」

とか、

「宝くじ当たったら、まず家買おうって思いますよね?」

まで言うと、9割の人は「そこまでいけばマイホームは持ちたい」となります。

 

建前でもいいんです。「いま言っちゃいましたよね」となればそれでOKです。

 

 

営業トークの展開の仕方として、この言葉を引き出してさえいれば、その後断り文句が出てきても、「最初に『マイホームを持ちたい』とあなたが言ったから、ここまで話をしてきた」という理屈が成り立つわけです。

(あくまでも不動産会社側からの言い分)

 

自分のいた会社が特殊なのかどうか、他社のことを知らないのでなんとも言えませんが、

「建前で断ってるのに」

という言葉に対しては、

「私は不動産営業という人間の一生を左右する仕事をしている。あなたが家を持たないというのはいいとしても、自分の仕事に対して、もしからかっている、というのならそれはさすがに許すことはできない。あなたは私をからかってたんですか?」

という展開をしていました。

 

これは、会社のマニュアル的な営業トークではなく、自分が在籍していた当時いちばん営業成績のよかった人が使っていた、会話の展開の仕方になります。

 

この言い方をすると、一定割合の人が「そんなつもりはなかった。すいません」となって、こちらの話を素直に聞くようになり、実際に契約までいく確率があがっていました。

 

実際にその場にいて経験してみないと「ホンマかいな?」と思うところですが、営業される側にも、「この営業の人は他の人となんか違う」という感情が芽生えるようです。

 

先程も言いましたが、営業する側とされる側の経験値が違いすぎるので、これが成立してしまうんですね。

 

なので、断るときはとにかく余計なことを言わないことです。

無表情で、というのはこれも営業する側からのツッコミどころをなくすためです。

「なんで笑ってるんですか」

「こちらは一生懸命やってるのにふざけてるんですか?」

みたいに持っていかれるのを防ぐためです。

 

自分の経験上ではこれで大丈夫なはずですが、世の中には悪いことを考えるのが天才的な人がいるので、とにかく接点を持たないようにして、接点が出来てしまったら、とにかく1点ばりで断りましょう。

 

 

 

 

 

それと、物を買わされそうになったときに「お金がない」がそれほど断り方として強くない理由を、解説します。

 

このことについては、国民生活センターの注意喚起事項の例を引用します。

www.kokusen.go.jp

 

そうです。借金させるのです。

 

お金がない

→ じゃ借りてきましょう。

 

という持っていきかたです。

 

先程の通り「お金がないから買わない」は断っているようで、逆に「お金があれば買う」というふうに持っていかれてしまいます。

 

たびたび繰り返しになりますが、「余計なことを言わない」というのがわかっていただけると思います。

 

 

自分の客側の経験です。

 

ある日某エステの無料体験が当たって、のこのこ出かけていったのですが、案の定終わり際にかなり強引に契約を迫ってきました。

 

なんとかコースが何回で総額50万くらいだったような気がします。

やぐら「お金ないですね」

エステ嬢「ローン組めば大丈夫です」

やぐら「債務整理しててローンは無理ですね」

エステ嬢「(やや顔が引きつる)」

やぐら「それでもローンが組めるとかなら、そうとう怪しい金貸しですよね?」

エステ嬢「(さらに顔が引きつる)」

やぐら「あきらめないなら上の人出してくださいよ」

エステ嬢「わかりました。帰って結構です」

 

ということで、無事脱出してきました。

 

ちなみにこの会社はTVCMとかもやってて、とりあえずは乱暴なことはしてこないだろうという読みでしたが、聞いたことない会社なら危なかったかもしれません。

(もしそうなら最初から行かないと思う)

 

このエステは今も会社自体は存続していますが、うちの地元の支店は撤退してしまったので、長期のローンを組まされた人はどうしたんですかね。

(まともなら返金しているはず)

 

まあ、原則を言えば、「営業」って黙ってたら売れないモノなんですよね、結局。

 

自分が興味があるものなら、営業に乗ってもいいですが、そんなの良いものなら広告だけでかなり売れてるはずですけどね・・・

 

不動産にしても立地や価格、間取りが良ければ広告だけで売れるケースがいくらでもありますからね。

 

何回も繰り返しになりますが、必要ないと思ったものはきっぱりと、そして淡々と断っていきましょう。

 

今回は以上です。

 

では

 

 

 

 

「仕事の出来る上司」とは、能力が高い会社が生み出すものである。

f:id:gogojuggler1969:20190806150230j:plain

 

こんにちは やぐらです。

 

最近、人間関係とか会社組織とかいろいろ調べてましたら、どうにも疑問に思うことがあります。それは「上司」という生き物についてです。

 

個人的には、あまり大きな会社で働いたことがないのでよくわかりませんが、(一部上場企業のアルバイト、みたいなのならある)どうにも「上司」についていい話というのを聞きません。

 

転職を何回かしてますが、その職場での最後は、やはり「どうにもならないおかしな上司(あくまでも主観)と、ぶつかってしまう」というのがほとんどです。

 

どうも「聞き流す」というスキルが全くないので、「えっ、それって法律違反でしょ?」みたいなことがついつい口からあふれでちゃうのです。

 

なので、自分に対する他人の評価は、ほぼ2分してまして、

・「真面目な正義感の強い人」

・「うまく立ち回れない社会人として、やや欠陥のある人」

となっているようです。

 

(もしかしたら2つは同じことを言ってるのかもしれない)

 

高校卒業してから20代半ばまでは、「聞き流す」も「愛想笑い」もしっかりやっていたはずですが、あるとき気が付きました。

「結局そんなことをやってもやらなくても、変な人に当たると全く関係ない」

ということです。

 

 

 

 

特に責任の押し付けみたいなことは、頻繁にありました。

 

会社から雇用されているはずなのに、

「会社から自分で自分の身を守らないといけない」

というおかしな状況になっているのですね。

 

つまり、会社が守ってくれないのです。

 

 

会社が責任を求めて来たときに、ちゃんと自分の責任をはっきりさせておくように、というプラスの意味なんでしょうが、その時いた会社の同僚は、

「上司、会社の指示通りにやっても、トラブルが起きると、個人のせいにしてくるからな~」

と、ブチギレつつも大人の対応をしているのを見ると、

(人間ができてるな~)

としか思いません。

 

 

 

 

「会社の指示通りにやっていれば、間違いが起きるはずがない。間違いが起きるのは完全に個人のせい」

 

とはっきり言ってくる職場もありました。

 

これにはちょっと疑問を感じましたので、

 

やぐら「では、管理職は間違いが起きないように管理しているのか?」

と聞いてみたら、

 

管理職「今言ったとおり、ちゃんと指示通りにやっていれば、管理とかいらない。完全に個人が悪い」(この文面を以下「セリフA」とします)

 

とのお答え。

 

さらに突っ込んで聞いてみました。

 

やぐら「人間だからどれだけ気をつけていても、間違いが必ずあるはずだけど?」

 

というと

 

管理職「セリフA」

 

やぐら「統計をとるとデータが多くなればなるほど、ミスの出る確率、件数は、ほぼ決まってくるはずだけど?」

 

管理職「セリフA」

 

やぐら「ミスが多い人と、少ない人との評価、指導に差はつけているのか?」

 

管理職「セリフA」

 

こんな感じでした。実際に一字一句そのまま同じ返答が返ってきました。

 

これはほんとにびっくりしましたね。管理職自身が、自分の存在意義を否定しているようにしか思えないんですけれど・・・

 

 

こういう人しか見たことがないので、本で読むような「PDCA」とか「なんとかのフレームワーク」とか、「前向きに検証するような作業」というのが実在するのか、かすかに疑っているところもあります。

 

この会社では、一応ミスが起きたときにトヨタ式の「なぜなぜシート」を書かされていましたが、システムの不備について書くと、なぜか書き直すように言われます。

 

書き直すのには、結局その担当個人が悪いとしか書きようがなくなってしまって、「結局その個人が悪いってなるんなら、こんな制度やめればいいのに」と、かなり不評でした。

 

参考までに、トヨタではなぜなぜシートの結論を「最終的には個人のせい」にするのは、ご法度だそうです。そもそもの目的がシステムの不備を見つけるためのものなので、個人のせいにすることは、趣旨が違うのです。

 

 

 

 

 

 

この会社では、かなりの人数の上の役職の人とケンカしました。

 

色んな人とケンカしているうちに、いままでうっすらしていたものがはっきりしてきたことがあります。

それはその人達と自分とで、言葉の定義、価値観、考え方、道徳があまりに違うということです。

 

例えば「仕事の出来る上司」とはどういう人のことを言うのか?

 

一般的には、会社の仕事に精通していて、目標目的を達成出来る、部下・後輩を助ける、などでしょうか。

 

これは自分と会社側とで、考え方は基本的には変わらないはずです。

 

一番差が出やすいと思われるのが、営業成績、売上に関するところ。

 

目標が達成できていれば良いのですが、出来ないときにどうするのか?

 

目標を達成できていない部下などがいる上司の場合、会社になんと言うか?

「今月目標達成出来ませんでした、来月なんとかさせます」

 

と、頭を下げて済むことはまずないです。

 

会社からは

「できないとかいらない。なんとかして」

と言われるだけです。

 

そこで、一般的には部下をフォローし続けるのが「いい上司」なんでしょうけれど、会社からのプレッシャーに反抗出来る人はそういません。役職が上がるにつれどんどんいなくなります。

 

そして、上司から部下には

「わかってるな」

ということで、”通常ではない営業方法”をとらせるようなところも多くなります。

 

こういうとき結果として、見た目の成績は達成されますから、会社からその上司は評価されることになります。しかし、部下からするととてもいい上司には思えません。

(というより会社に対する不信感が増すだけと思う)

 

個人的に不動産営業時代に、成績が出ないときは朝6時から夜3時くらいまで営業の電話をかけさせられましたし、不動産はさすがに自腹は切れないので、何やらあまり聞いたことのない保険とか入らされたりしました。

 

(暴力的なことも多かった)

 

これは、どう見ても社長に対するアピールでしかありません。

社長は常々言ってました。

「おれは契約が欲しくて、休日とか2ヶ月に1日しか取らなかったし、終電で帰ったこととかほとんどない」

(地方の方のために説明すると、東京などだと通勤のために電車に乗ってくるわけですが、だいたい最終電車の時刻が午前1時前くらい。要は電車で帰ろうとか気にしながら仕事をしたことがない=もっと遅くまで仕事してる、という意味)

 

 

 

 

 

で最後に、

「おまえら金欲しくてうちに来たんだろう?契約ほしくないの?だったら契約とれるまで働くのが普通だろ?」

と言うのでした。

 

この社長は、営業時代在職していた会社のあらゆる営業成績を塗り替えて来たらしく、業界でも結構有名な人だったようです。

 

こういう人は「仕事の出来る人」「仕事の出来る上司」という評価でしょう。だだ、人間として憧れるかどうか・・・こうなりたいと思うかどうかです。

 

ということは、仕事の出来る上司というのは、人間的に評価されているかどうか?人間として憧れるような人なのか?というのが、まずベースになるわけです。その上に仕事が出来る、成績がいい、部下を育てるのがうまい、となります。

 

たまに見かけますが、

「人間としてはクズだが、ものすごい仕事ができる」

という人がいます。

 

実はこういう人は、「会社組織」では、やはり不必要とされます。

特にあまりに協調性がない場合などは、営業成績関係なく部署異動させられたり、最悪何かしら理由をつけられて「クビ」とかもありえます。

 

ただ、こういう人の場合、会社にいない方が実は稼げる人だったりするので、自営とかならもっといいんでしょうけれど、「上司」としては合わないです。

 

以上、自分の上司が仕事が出来る人なのか、どうかの判断基準を書いてみました。

 

まず、上司個人の評価とともに、会社自体の評価も考えておきましょう。

「下っ端が評価しても・・・」

と思いますが、仕事の出来不出来は、上司個人の能力よりも、会社の方針のほうが影響力が大きくなります。

 

上司の裁量があまりに狭いと、上司として機能しなくなります。

(更に上の上司の判断次第になる。上の上司の行き着くところは最終的には社長)

 

仕事があまり出来ない上司、という印象でも、そもそもの権限がほとんどない、という場合もあるので、上司の仕事ぶりは日頃から観察しておくに越したことはありません。

 

これを読んであなたの会社生活が少しでも快適になることを願います。

 

では。

 

 

 

 

男50歳にして職場で初めて「自分の行動を歓迎される」ことにびっくりする

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こんにちは、やぐらです。

 

ここ最近で「人生で初めてかもしれない」という出来事にあいました。

それは、「職場で歓迎される」ということです。自分のしたことが職場で歓迎されたのです。これは自分史上ほんとに記憶のないことです。

 

まず何をしたかと言えば、

「自分の勤務時間を少し長くした」

だけです。

 

もともと、今の職場は正直言うと雇用保険からみの、「気持ちとしては腰掛け程度」で就職しました。もちろん入社時の考え方というだけで、実際に働き出せば、ちゃんと業務は全うしているはず、と思っています。

 

正直、入社した直後の今の職場の印象はよくありませんでした

面接して、簡単な研修をして、現場に出されたときに「挨拶しましょう」と言われたはずなんですが、結構な人数が挨拶を返してきません。

 

(給料面からいくと、こんなもんかも・・・)

 

入社して2年半くらいですが、いまだにすぐ近くの現場の担当の人でも、自分に対して挨拶どころか一言も口を聞かない人、連絡事項を回してこない人、とにかく喧嘩腰の人、自分みたいなおっさんじゃなく若い人がいい、と堂々と言っているおばちゃんなど

まあ、人間の悪いところのオンパレードみたいな感じでしたね。

 

それでも、結構な年数を経験している業種なので、特に指示をされなければ、自分で勝手にやってもそれなりのレベルの仕事の結果は出せるので、とにかく黙々と仕事をすることに専念していました。

 

一番ひどい状況のときは、自分が入社して3ヶ月くらいしたときに、28歳の男子が入社してきましたが、とにかくびっくりするくらい職場の人間がフレンドリーなのです。

 

その男子がコミュニケーションをとるのが、うまいこともありますが、その男子が休みの日とか、となりの担当のおばちゃんから「今日○○君休み?あいつしかいないじゃない、つまんねー」という間接的な罵声は、幾度となく浴びてきました。

 

簡単にいうと、自分が学校を卒業してから、職場では、こんな扱いしかされたことがないので、ある意味「自然」なんですね、だから対処法も知っていますし、「腰掛け気分」というのが逆に気持ちを追い詰めなくていい方向にいっていたとおもいます。

 

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そして風向きが少し変わりだしたことがありました。

その28歳男子がちゃんと就職するために退職したのです。

当初は人数が減った分、ひとりひとりの負担が増えるのですが、個人的には1人で仕事するほうが好きなので、あまり気にしていませんでした。

 

しかし、どうも1人抜けた分全体の負担が増えたことに対処できない人が出だしたのです。

 

そして、自分の勤務時間から引き継ぎで出勤してくる人が、

「とにかく自分の担当のところが終わってない」

と、頻繁に愚痴るようになってきました。

 

個人的には「自分の能力フル回転」で仕事してもそれでも間に合わないのですから、「会社組織として何かが足りていない」としか思えません。

 

ただ、どうもここ最近数ヶ月前から、

「仕事を頼むなら、やぐらに」

という、空気を感じるようになってきました。

 

一般的な法則で言われることがありますが、

「仕事を頼むなら、忙しい人に頼んだほうが早く終わる」

のような状態です。

 

自分が誰かに物を頼むとしてもそうするでしょう。

 

自分としては、仕事そのものを嫌いなことがほとんどなくて、そこで働く人間の考え方がどうしても受け付けなくて、何度か転職してきたクズ人間ですので、

「ひとから期待されている」

という、感情になれないのです。

 

 

「期待されている」と「仕事を押し付けられている」は区別しないといけません。

 

特に今まで「仕事を押し付けられている」という経験が99%のため、誰かの依頼で仕事をしても気分がよくなったことなんかないのです。

わかりやすいのが、自分に仕事を頼んできた人の態度を見るとはっきりします。

 

1番ひどかったのは、24時間稼働の職場で他のメンツが飲み会に行きたいので、自分に一言も知らせずシフトを勝手に組んで、自分ひとりで7人分の仕事をやらされたこともありました。

(そのおかげで仕事が早くこなせるようにはなりましたが・・・)

 

しかも「1番」といいながら、別々の職場で何回もくらいましたからね・・・

 

ほんとに仕事したい人なら、自分に物を頼みつつ、さらにその人の担当の仕事をこなす、となるとおもうのですが 、自分に物をたのんで楽になった分をそのまま仕事しない、みたいな人しか見たことがありませんでした。

 

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今回、仕事の契約更新時に、今までの勤務時間から多少時間を増やすことにしたわけなのですが、あくまでも個人的な都合によるものです。

 

基本的には、ブログでなんとかしよう、と思っていますが、とても生活できるようなレベルではなく、とりあえずは、なにかしら収入を得ないといけません。

 

また、どうも少し生活環境を変えたほうがいいのでは?と思うようになり、そのあたりも含めての勤務時間変更としたわけです。

 

 

ただ、このことが自分の担当の人たちには「いい方の驚き」をもって受け止められていたようです。

 

今回の契約更新で最低時給が上がった関係で、パートのおばちゃんたちのほぼ全員の時給が上がりました。しかし、健康保険の関係で自分の担当のおばちゃんたちは、健康保険に加入義務のある年収106万円を超えないようなシフトにしたために、時給が上がった分勤務時間が減ることになってしまいました。

 

人員も募集していますが、まったく問い合わせもないくらい人気がないようなので、人が増える見込みがありません。

 

なので、実質的には人がへらされてしまったことになります。

 

そのことが前もって予測がついていたところに、予想外の「自分の勤務時間延長」があって、みんなよろこんでいた、ということになります。

 

複数のひとからも「やぐらさんなら大歓迎する」とまで言われてしまって、自分の辞書に「大歓迎される」という言葉がないので、どんな表情をすればいいのか、なんて返せばいいのか、ほんとに戸惑っております。

 

今までのパターンなら

「めんどくさいことはやぐらにやらそうぜ」

という空気でしたが、いまのところは感じません。

 

また、万が一自分がへそを曲げて「やっぱりやーめた」となるのを恐れているのかもしれません。

 

(あまりにひどい言われようのときに、何人かのおばちゃんと実際に喧嘩している)

 

 

とにかく、自分としては仕事は仕事でスタンスを変えずにやることをやるだけです。

 

そして、それこそ今の職場を辞めても生活できるような体制を早く作らないといけません。

 

これからまた気持ちを入れ直してがんばります。

 

また

「ブログは辞めないとそのうち成功する」

らしいので、こちらの方もその言葉を信じてひたすら書くことにしましょう。

 

今回はこんなところです。

 

では。

 

郵便局は所詮そういう組織だったというだけのこと

こんにちは やぐらです。

 

今回はこちら

 

business.nikkei.com

 

かんぽ生命です。

 

なんか相当適当なことをしていたようです。

 

保険契約を二重にしたりとか、解約ができたりできなかったりいろいろのようです。

郵便局員が何をしてきたかについては、他のニュース記事を見ていただくとして、職員たちは、なぜこんなことをしたのか?というところをもう少し詳しくニュース記事になればいいのですが・・・・

 

ちょっと無理そうですかね。

 

かんぽに関してはうちのもうすぐ80歳になろうかという母親に対しても、電話で、店頭で、郵便物で、とにかく保険の書き換えを勧められていました。

 

うちの親はたまたま「頑固な人」でしたから、郵便局員に対しても「なんでそれが必要なの?自分はいらない」と突っぱねきっていたので、今回の騒動には、巻き込まれずにすみましたが、誘い方というか、とにかくいやらしいのです。

 

「前回来ていただいたときに身分証明書のコピーをとるのを忘れた」

 

そこで、郵便局に出向きコピーを提出すると、保険の書き換えを勧めてくるわけです。

 

「いらない」

といって断った数日後にまた電話がきます。

 

「前回、身分証明書の『裏』のコピーを取るのを忘れたのでもう一度来てほしい」

 

さすがにめんどくさい&うさんくさいので

「めんどくさいのでいかない」

「それと保険の書き換えはしないのでとにかくいらない」

と、再度きっぱり断ったそうです。

 

とりあえず、ここまで断固として拒否したせいもあって、「被害」は逃れましたが、ちょっと人がいいお年寄りなら、おそらく言われるがままに契約していたのでしょう。

 

business.nikkei.com

 

www.asahi.com

 

もはやどこかの「詐欺グループ」と呼ばれてもおかしくないくらいです。

 

 

 

 

なぜ、こういうことになるのか?

 

理由は、「ノルマ」です。

 

www.nhk.or.jp

 

www.kahoku.co.jp

 

直接かんぽの仕事はしたことがないので、正確には知りませんが、「『いんちき』してでも契約をとってこないといけない状況」というのは簡単に想像できます。

自分のいた某郵便局では、毎月かんぽの窓口営業成績のいい人が表彰されていましたが、毎回特定の人でした。

(商品はサランラップとかだった気がする)

 

その人の本当の実力なのか、いんちきなのかわかりませんけど、表彰されるくらい契約は取ってきていた、のは事実のようです。

「ノルマ」はクリアしていたんですかね。

 

で、営業する以上は「ノルマ」の設定そのものは否定しませんが、市場の規模というか、数値に設定に無理があるのかもしれません。

 

特に地方の更に田舎のほうにも郵便局はあるので、人口が少なくなると「新規開拓先」なんてものはほとんどなくて、村人の9割は顔見知りだったりもします。

 

そうなると今回のように「書き換え」が主流になるのは、当然の流れ。

ただ、いんちきがバレると都会ならまだしも、田舎のコミュニティから弾きだされそうな気もするのですが。

 

 

 

そして、もう一つ悩ましいのは、

「郵便局関連の商品にそれほど魅力がないこと」

です。

 

ぶっちゃけますが、

「誰が買うの」

という商品だらけです。

 

従業員がほしいと思わないのだから、第三者が欲しいなんて思うはずはないのです。

 

かんぽがもう少しまともだったら、「保険」も主力商品になりえたのでしょうけれど、ちょっと怪しくなりました。

そうなると、「ゆうちょ」しか無理そうです。

 

自分がいたのは郵便のほうですが、とても他人にすすめられる商品ではないです。

 

まず年賀状、そして暑中見舞い、たまに切手シートとか。

 

さらに「売ってこい」と言われているものは

・頒布会商品

年間で契約して、月1で送られてくるもの

人に勧められるものがないので、自腹で「花」を買っていました。

なので1年経つと「花だらけ」になります。

 

・お中元、お歳暮 

特に目新しいものはなく、デパートと大差なし。郵便局でしか扱っていません、というものも見当たらず。

ノルマは、自分が会社を辞めるころは、各人4個でした。

毎回、ゴディバもさすがに飽きる・・・

 

・その他スポット商品

「麺関係」

ゆうパックのサイズに合わせないといけないせいか、とにかく量が多いのが難点。

1箱にラーメンが8食とか入っています。

これを2箱とか。そんなに食えない・・・

 

「サンマ」

これも量が多い。1箱6尾とか。

 

あと「強制」ではなかったものには、バレンタイン、ホワイトデー時期のチョコ、お菓子関係、クリスマスのケーキ、ハロウィンのお菓子とか。

 

なぜ、郵便局がやるのかよくわからないし、特に力を入れて販売してるわけでもないので、どこか特定の会社の経営層になにかしらのメリットがあったのかも。

ゆうパックの取り扱い個数を増やすため、という噂も。たしかにこのイベントごとをしないと、物量は2割くらい減る気がする)

 

 

 

 

また、よくいわれることですが、年賀状とかが売れなくなってきています。

理由は、メール、SNSの発達と個人情報保護のためです。

はがきは住所を知らないと出せないのですが、いま外部に「住所一覧」とか出すところはまずないので、年賀状とか出しようがないのです。

ひとりひとり住所を聞かないといけませんし、最近は「年賀状をもらうと返さないといけないので、出さないでもらいたい」という風潮があるらしいので、とにかく売りづらいのです。

 

 

それに加えて、なぜか従業員全員営業マンという前提になっています。建前上「自腹はやるな」となっていますけれど、「販売数のノルマは必達」とか、言ってくるので、自分なんかは他人にすすめるのはとんでもない罪悪感しかなかったです。

他人がいらないものを押し付けるほど、腹が座ってる人間ではないので、自分向けで買うことになる=自腹という構図になります。

 

 

従業員が先に買ってしまって、一般の客に回らないような商品とか扱えばいいと思うんですが。

(実は一部そういう商品がある。)

 

どうも郵政の偉い人たちは「商品に力がなくても、人の力で何でも売れる」と思っているのかもしれません。

言っておきますが、ほんとに売る力のある人は、もっと稼げる違う職場にいきますからね。

 

togetter.com

 

こんなことしてたらそりゃやる気とか出ませんわ。

ちなみに、年賀はがきをこれだけ売れるのなら、他のもの何でも売れますよ。もっと稼げる職場に行きましょう。

 

おそらくかんぽも「商品」としては、ずば抜けてすごいもの、という認識は職員間にはなくて、「もはや、いんちきしないと売れない自社商品」という位置づけなんですかね。

 

自社商品って、従業員の思い入れがないとやはり売れないので、そういう意味では郵便局はなにか革命的な新しいことをしないと、確実に沈んでいくはずです。 

 

最後になりますが、自分が郵便局にいたころは、自分が見てきた一般常識とあまりに違うので、「これおかしいんじゃないの?」とほぼ喧嘩腰の毎日でした、最終的には「自分の方がおかしい人」という扱いをされてさすがに見切りをつけました。

 

ひとりひとりはあまり悪く言いたくはありませんが、管理職のなかには、育ち盛りの子供がいて、住宅ローンとか払っていたりしますから、自分が定年するまで、会社がひっくり返っては困るわけです。

(たしかに、ちょっと会社に疑問はあるけどねえ。自分も生活があるから、まあそのへんは・・)

みたいなことを、こっそり言ってもらえば、自分もそこまで意固地になることもなかったのでしょうけれど、

「会社は正しい、お前がおかしい」

と全面対決の様相を見せられたら、やり合うしかありません。

(もし、給料が高かったら、会社に対して毎日『揉み手』をしていたはず)

 

ということで、いい会社で働いているということは、それだけで相当幸せなことです。

また、そうじゃない会社で生活のためになんとか頑張っているみなさまには、「ごくろうさんです」というしかありません。

 

みなさまの幸せを願いつつ、終了とします。

では。

 

 

 

 

 

取引先の女子を口説く方法

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こんにちは やぐらです。

 

 

今日職場の女子と雑談をしていましたら、

「業者の人が自分のプライベートを聞きたがってちょっとめんどくさい」

ということを言われました。

 

世間一般には

「口説いている」

という状態ではないかと推察されます。

 

なんでこんな固い言葉で書いているかと言うと、とにかくいろんな人がいるなあ、と感心しているからです。

(理由になっていない気がするが)

 

いちおう聞いた限りでは、その業者の男子は

「よくお菓子をくれる」

「自分は、直接その業者の商品の担当ではないけれど、なぜか私のところに来る」

そして、

「プライベートのことを聞いてくるようになった」

そうです。

 

自分の経験上では、業者の人が取引先の女子とくっつくのはよく聞く話なので、それ自体はめずらしいとは思わないのです。

 

ただ、社会人として色んな人を見てきた限りでは、

リスク管理をどうすんの?」

というのは気になるところです。

 

一番めんどくさくなるケースは、会社単位で

「おたくの会社の○○さんが、うちの女子社員にちょっかい出してくるみたいだけど、やめてもらえますぅ?」

みたいなことに発展することです。

 

自分は実際にこうなったケースを知ってるので、そう思うのですが、実際には会社単位でのトラブルまではなかなかいかないようです。

 

「『新婚さんいらっしゃい』とかで、『どこで知り合った?』ってなると『取引先で』ていうの実際よく聞くでしょ?」

 

これには会社の女子も、

「そう思う」

とは言うものの、

「『実際、特に関心のない男子から何かと言い寄られる』というのは、気分はよくない」

とのこと。

 

まあ、そうなりますよね。

 

その女子は、会社の従業員の構成上ちょっと目立つ感じなので、

(1人だけ年齢層が違う)

目をつけられやすい、というのはあるかもしれません。

実際、他の業者からもアプローチ的なことは受けているようです。

(個人的推測)

 

まあ、男なのでお気に入りの女子がいたら、アプローチをかけること自体はいいと思います。

 

問題はそのやり方です。

 

まず、取引先全員にあいさつしましょう。

自分のお気に入りの人だけにあいさつして、その他には知らんぷり、では相手先に敵を作るだけです。

 

そのことで、そのお気に入りの女性の立場が悪くなるようになってはいけません。

(自分は挨拶されないことはいくらでもある)

 

あと、女子の情報伝達はとても早いので、もしほかの店でそういうことをしていても、すぐ違う店に情報は回ってきます。

 

会社のエリア全体の集まりとかがあると、そこから帰ってきたチーフとか店長などから、

「あの業者のあの人には気をつけろ、って言ってたよ」

となっています。

 

特にある程度、店・会社の営業歴が長いと、そこで働く人達もベテラン女子なんかですので、うわさ話はスグにまわるようです。

(自分は、ベテラン女子とあまり絡まないので、ほとんど何もしりませんけど)

 

こういう事情があるので、取引先の女子を口説くとしても、その女子にその気がない場合どうしても長期戦になりがちです。

そのため少ない接触機会を逃さないように、ぐいぐいくる男子も多いのですが、あまりに自分を押してくると、ほとんどの女子は引いてしまいますので、そのへんは考慮しましょう。

 

個人的には

「取引先の女子」

というのは、ハードルがとても高いように感じるので、もっと簡単に接触できる女子に声をかけたほうが良いような気もしますけれど・・・

 

その男子が

「どうしてもその女子」

というなら個人の自由ですが、どうなんですかね~

 

男なのでがんばってもらいたいところですが、関係ないところに迷惑がかかりそうなら、ちょっと考えましょうね。

 

ということで、特になんのことはない日常のお話でした。

 

以上です。

 

では。